<日本人として恥ずかしくないか>
5月23日、「竹島は韓国のもの」と主張する日本人学者ら3人が、韓国の民族団体と一緒に竹島(島根県隠岐郡隠岐の島町竹島官有無番地)に上陸し、「竹島(韓国名:独島)は韓国の地だ」と叫び、韓国で話題になっている。
上陸したのは、「『竹島の日』を考え直す会」の久保井規夫副代表ら学者2人と寺の住職1人。以前からフリージャーナリストを中心に日本人が内緒で上陸することはあったが、韓国の団体のイベントで堂々と上陸し、韓国による竹島の不法占拠を正当化するような行動に出たのは、今回が初めてだ。
菅義偉官房長官は23日の定例記者会見で、「極めて遺憾だ。その旨を今後、3人に申し入れる」と述べている。私も竹島に本籍を移して以降、韓国のマスコミから竹島上陸のお誘いを受けたことが、たびたびあるが、すべてお断りしている。なぜなら、日本国のパスポートを持って竹島に上陸することは、竹島が韓国領土であることを認めてしまうことになるからだ。韓国を利する日本人の竹島上陸は、日本人としての最低の行動と言わざるを得ない。
以下、竹島が日本の領土である正当性について、本稿では近代以降の流れのなかで、説明していきたい。
<竹島編入の正当性>
竹島を日本領として編入する直接のきっかけは、隠岐島民の中井養三郎が明治37(1904)年9月29日、内務、外務、農商務省に求めた竹島の領土編入と貸し下げの願い出だった。これに対して、日本政府は明治38年1月28日、「竹島ヲ本邦所属トシ島根県所属隠岐島司ノ所管ト為シ」との閣議決定を行ない、この無人島は「他国ニ於テ之ヲ占領シタリト認ムベキ形跡」のないことを確認し、無主の地に対する領域取得の「先占」という国際法の原則に則って、領土編入に踏み切ったのである。
この決定によって、内務省の訓令をうけた松永武吉島根県知事は、同年2月22日、「島根県告示第40号」を発して竹島を島根県に編入した。またこの時、今日使われている「竹島」の名称も定められた。その際、大韓帝国に対して国際法上、通告の義務はないし、竹島編入の事実は新聞でも発表されており、秘密裏に行なわれたわけではない。編入に際し、当時の大韓帝国政府や他国から1つも抗議はなかった。
一方韓国は、日本が竹島を編入したのは明治38年で、韓国を含む他国が抗議をしなかったから日本領だと主張するのは理不尽だとしている。韓国は前年2月に日韓議定書を、8月には第1次日韓協約を結ばされて外交権を奪われており、発言さえできなかった状況だったからと主張する。領土編入は地方官庁の声明にすぎず、到底認めることはできないとしている。しかしこれは歴史的事実を無視した韓国の言いがかりというものだ。日本人が竹島を一貫して利用してきたという記録も残っており、竹島編入は合法かつ正当なのである。
外交権を奪われたという主張も、まったくの事実誤認である。日本が韓国の外交権を掌握するようになるのは、竹島編入の9カ月後、明治38年11月の第2次日韓協約においてである。韓国が指摘した日韓議定書は外交権とは無関係であり、第1次日韓協約でも米国人顧問を置くことが決められていたに過ぎず、この段階で日本が外交権に干渉したという事実もない。
大韓帝国が本当に竹島を領有する権限を持っていたならば、日本に対して抗議することは妨げられなかったはずだ。近代国際法から見て竹島の編入は、手続きに何ら問題のない合法的なものであったことは明らかなのである。
| (後) ≫
<プロフィール>
濱口 和久 (はまぐち かずひさ)
昭和43年熊本県菊池市生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒業。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、民主党本部幹事長室副部長、栃木市首席政策監などを経て、テイケイ株式会社常務取締役、国際地政学研究所研究員、日本政策研究センター研究員、日本文化チャンネル桜「防人の道 今日の自衛隊」キャスター、拓殖大学客員教授を務める。平成16年3月に竹島に本籍を移す。今年3月31日付でテイケイ株式会社を退職し、日本防災士機構認証研修機関の株式会社防災士研修センター常務取締役に就任した。『思城居(おもしろい)』(東京コラボ)、『祖国を誇りに思う心』(ハーベスト出版)などの著書のほかに、安全保障、領土・領海問題、日本の城郭についての論文多数。5月31日に新刊「だれが日本の領土を守るのか?」(たちばな出版、現在第4版)が発売された。 公式HPはコチラ。
※記事へのご意見はこちら