<黒田「異次元緩和」とその周辺のアクターたち>
今回の株価下落について考える上でも重要なのは「アベノミクス」を株高以外の側面で捉える必要があるし、その政策を実行しようとする主要な登場人物やそれに対抗する勢力や影響される勢力について考える必要があるだろう。この点で言えば、予想を上回った大幅な金融緩和という点で、黒田東彦・日銀総裁のことを、「真珠湾奇襲攻撃」を行った山本五十六提督になぞらえた当研究所所長である副島隆彦の分析がもっとも的確である。山本五十六は対米開戦を主張する政府首脳に対して「2年や3年だったら大暴れしてみせる」と言い放って、真珠湾攻撃が短期的な戦果をもたらすが、中長期的には持たないので、米国と早期講話を結ぶべきだとほのめかした。
これを黒田日銀総裁に対して言えば、金融政策による市場に対する奇襲攻撃の威嚇効果は短期間しか持たないので、その間にアベノミクスの本筋である成長戦略や財政戦略を確実に打ち出して、その上で日本経済回復を巡航軌道に乗せてください、ということになる。といっても、金融政策でデフレ経済を救うというのは、米国や欧州の中央銀行が数年前から実施していることである。欧米の中央銀行がやったこれらの緩和は、「ヘリコプター・マネー」とか「バズーカ砲」と例えられたが、黒田緩和はその規模を上回るものである。政策目標として、物価上昇率2%を目指しているのは日米欧でかわりないが、量的緩和を行なう、具体的には長期国債やETFを買い入れることで増加する中央銀行の資産規模でいえば、米FRBが270兆円(対GDP21%)や欧州ECBが350兆円(同28%)に対し、「日経新聞」(4月4日)によれば、日銀は290兆円(2014年末、同59%)を目指しているという。 ヘリコプターやバズーカ砲ではなく、それよりも威力のある宇宙戦艦ヤマトの「波動砲」だろうか。
冗談はさておき、この対GDP比の資産規模の比較で見れば、日銀の金融緩和はまさに異次元のレベルに達していることがわかる。
黒田総裁が就任して以後の日銀は、完全に政府の従属下にあるといえる。これを取り巻くのが、(1)政府与党(2)自民党(3)財務省(4)経済産業省(5)財界(6)大銀行・生保などの機関投資家(7)ヘッジファンド(8)欧米中央銀行やIMFなどの世界権力層(9)有権者といった主要なアクターがおり、それぞれにとっての合理性(利益思惑)があると指摘できよう。それぞれにとって利益になる事柄は重なり合う部分とそうならない部分があることに注意しなくてはならない。
アベノミクスは安倍首相の演説を聞いている限りでは、その目標は単なる株高ではなく、日本経済を成長軌道に向けることにある。これには震災復興や成長戦略、その結果として企業収益が増えてそれが、一般の有権者(=労働者)に還元される事が必要で、これによる可処分所得が全国民層で増えることが必要である。
黒田日銀は、これを人々の間にインフレ期待を起こすことによって達成しようとしているようだ。景気が良くなることと、人々の間にインフレ期待が起きることが同じであるとするのが黒田総裁や安倍首相が信奉している金融理論である。しかし、金融緩和によってインフレ(物価上昇)だけが起きてしまい、人々の給料が上がらない事になれば、アベノミクスは失敗することになる。不況下における物価上昇はスタグフレーションとも言われる。例えば、円安による輸入価格上昇によってツナ缶やパンの価格が上がって、値上げするというようなすでに見えている動きが全般的になれば、株高が起きて一部の投資家が潤っても、黒田日銀緩和は本来の目的からすれば「大失敗」ということになる。
黒田緩和の成否に運命が左右されるのは、数年後の総選挙に向けて支持率を維持したい(1)政府与党(2)自民党であり、当然ながら(9)有権者たちである。黒田東彦総裁の日銀が山本五十六率いる連合艦隊であれば、日銀の金融政策と運命を共にする運命になる(6)大銀行はさしずめ戦艦大和を守る護衛艦隊だろう。護送船団方式という言葉が日本には長らくある。
そして、黒田艦長が奇襲攻撃を仕掛けた相手は、今回はアメリカのFRBではない。それは黒田緩和に対して、バーナンキFRB議長と始めとする欧米の金融当局は(ドイツ連銀総裁を除けば)概ね好意的である。黒田緩和と同じ事をやってきたのが、ここ数年の欧米の中央銀行であり、欧米の中央銀行が、QEやLTROなどの量的緩和のバズーカ砲を相次いで発射した結果、欧米通貨が円に対して激安になっていたのがこれまでの「超円高」だった。麻生太郎・財務大臣が欧米のG7やG20といった金融政策当局者たちに「行き過ぎた円高を是正しているだけで為替操作ではない」と言い放ったときに欧米の当局者が何も言えなかったのは当然だろう。
黒田総裁が相手にしなければならないのは、マーケットであり、より具体的な実態を持った呼び名で言うならば、(7)のヘッジファンドということになる。事実、23日の急落も仕掛けたのは投機筋と言われるヘッジファンドであった。しかも、このファンドという主体は必ずしも人間ではなく、超高速取引(ハイ・フリクエンシー・トレーディング)を行なうアルゴリズムという予め入力された株式売買プログラムであることも近年では多い。つまり、黒田総裁は外国人投資家たちが動かしている無人戦闘機(ドローン)からの攻撃に耐えしのぎ、半ばゲリラ戦術を得意とする投資家たちを自らの陣営に手懐けなければならない、ということになる。
ただ、山本五十六と黒田東彦の違いは、敵がアメリカとかイギリスとかのような国家ではなく、国境を容易に飛び越えて攻撃してくるゲリラ的なトレーディングロボットであるという点にあるわけだ。
しかも、前線であるマーケットの後方では、リフレ派と反リフレ派の論争が起きている。これを後方で構える政府大本営の一角を担う、財務省が巧みにマスコミを使って演出して黒田艦長の艦隊を後方から攻撃している、というのが副島分析を踏まえての私の見立てだ。
<プロフィール>
中田 安彦 (なかた やすひこ)
1976年、新潟県出身。早稲田大学社会科学部卒業後、大手新聞社で記者として勤務。現在は、副島国家戦略研究所(SNSI)で研究員として活動。主な研究テーマは、欧米企業・金融史、主な著書に「ジャパン・ハンドラーズ」「世界を動かす人脈」「プロパガンダ教本:こんなにチョろい大衆の騙し方」などがある。
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