台湾のテレビ局でスポーツジャーナリストを務める鍋光氏。福岡にもゆかりがある彼が語る、台湾メディアと福岡メディアの違いとは――。
3月以降、日台各界の要人がこぞって話題にするのが「WBC第2ラウンド/日本対台湾」である。台湾では、観戦するために退社時間を早めた会社もあるほどの注目度で、日台それぞれで大きな意味を持った試合だった。
余韻は試合後しばらくの時を経てもなお、多くの人の心に残っているようだった。捕手・高志綱はベンチからのスタートで、先発に林泓育が起用される「攻撃型」のオーダー。先発・王建民は本来の調子とは言えなかったが、95%以上が得意球の「シンカー」という投球で、日本にはシンカーばかりを投げ続けるオーバースローのピッチャーが殆どいないためか、日本バッターが攻略に手こずっていた。王がゼロに抑える投球の中で、日本の能美が自滅に近い形で台湾に先制を許した。3回、郭厳文が二塁打、四球、死球が続き、1死満塁。林智勝がファールフライで倒れたあと、周思斉に押し出し四球。台湾が1点を先制する。
日本先発の能美は1回こそ完璧な立ち上がりを見せていたが、2回以降、突如乱れた。王建民が先発ではあったが、球数制限がある・・・。終盤以降の投手布陣を考えると、台湾は序盤に「できる限りの得点」を加え、日本に「負けの継投(リードされている展開で格下の投手が出てくる展開)」をさせたかった。3回に1点を取ったものの、台湾ペナントレースでは絶好調だった4番林智勝には力みがあったように思える。一気に大量点というわけにはいかなかった。その後、5回に1点を加えた台湾。2−0とリードを広げたが、日本の打撃陣を考えれば安全圏とは言えない。台湾は押し気味に試合を進めているようでいて、日本の終盤の粘りは脅威。6回までで球数が制限に達した王建民がマウンドを降りると、試合の流れは変わり始めた。
7回表、潘威倫が稲葉にヒットを打たれ、走者を得点圏に進められると、郭泓志を投入。結果、無失点に抑えたが、台湾は「投手継投」を前倒しせざるを得なくなった。台湾にとって、継投の前倒しは痛い。というのも、台湾のリリーフ陣は比較的手薄だった。台湾プロ野球では、リリーフを「外国人投手」が務めるケースが多く、ロングリリーフをこなす絶対的な抑えがいないためだ。
2点のリードを保ってはいたが、波は襲ってきた。8回表、日本は井端、内川の連続ヒットで無死1、3塁。台湾は王鏡銘にスイッチするも、流れは止められない。阿部、坂本にタイムリーを打たれ同点にされる。それでも、流れは台湾に残っていた。8回裏、彭政閔、林智勝、周思斉の3連続安打で勝ち越し、3−2。さらに追加点のチャンス。無死1、3塁というところで、台湾は日本の息の根を止めるためにも一気に突き放さねばならない。打席には高志綱。
「無死1、3塁」というケースは、野球では攻撃、守備ともに様々な戦略が考えられる。普段は下位打線を打つことが多い高志綱の打撃力で、私が考えたのは「スクイズ」、あるいは「1塁ランナーとのヒットエンドラン」だ。無死とはいえ、仮に失敗したとしても、スクイズは1塁ランナーを2塁に進める「保険」を効かせられる。4点目が欲しい台湾。時間をかけて相手チームに揺さぶりをかけたい・・・。しかし、台湾は意外にもここで無策だった。高志綱はショートゴロで3塁走者タッチアウト、張建銘はショートフライ、陳鏞基サードゴロで得点の追加はならなかった。
「ピンチの後にチャンスあり、チャンスの後にピンチあり」とはスポーツ界の常套句。1点を勝ち越したとは言え、台湾チームには「さらなる追加点のチャンスを逸した」という消沈ムードが残り、流れが傾いた。陳鴻文が井端に同点のタイムリーを浴び、延長10回、中田の犠牲フライで勝ち越しを許した。日本は杉内を残しており、台湾の追撃を断った。
1球1球が手に汗握る試合だった。ある台湾政府関係者は後日の政界パーティーで「この試合は、日本と台湾の友好を象徴するような試合だった」と述べた。一方、台湾で野球を指導するコーチは「あの試合で勝てなければ、台湾はいつ日本に勝つのか?当分、日本を倒すチャンスはないだろう」と諦め顔で話した。
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