日本人は「正義」という言葉が好きだ。最近の例で言えば、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の本『これから「正義」の話をしよう』がベストセラーになり、そのTV放映も高視聴率を記録した。当のサンデル教授は「独立したジャスティス(正しくは、法律に立脚した"公平"、"平等"、"公正"という意味で日本語の"正義"は誤訳に近い)は存在しない」と言っているにも拘わらず、多くの人間が、あたかも絶対的「正義」があるかのように、その言葉に酔いしれた。その影響か、「正義」について触れている本を最近よく目にする。これは、その入門書とも言えるもので、気軽に読むことができる。
著者、片田珠美氏は豊富な臨床経験に基づき、心の病の構造を分析する気鋭の女性精神科医である。著書も多く、新聞連載やTVコメンテーターとしても活躍中である。著者は昔から「正しい」ことを振りかざす人が嫌いだったという。「正しい」と思って信念を貫き通す人は、じつは"妄想的確信"を抱いている人に近いと分析している。この本を書いた動機は、著者が新聞連載中のエッセイ「精神科女医のつぶやき」のある内容が、「正義」を振りかざした読者のパッシングを受け、ネット等が炎上したことも影響している。その上で、「正義ほど、うさんくさいものはない」と言い切っているところが面白い。
本書は、第1章「正義」の名のもとに悪をやっつける人~ネットからの快楽には依存性がある~なぜ他人の「悪」をたたくとスッとするのか~「正義」の仮面に隠された怒りと羨望~第5章「正義」依存は伝染する、という全5章で構成されている。読者がよく知っている社会、芸能等の事例を多く取り上げ、精神科医らしく、フロイトや心理学者、哲学者等の言葉を引用、解説をしている。
著者は現在の日本は「誰かを悪者にしないと回らない社会」になっていると言う。今話題の「追い出し部屋」でも誰か自分以外の従業員が入れられるのを見るとちょっぴり安心する。他の誰かがターゲットになっているかぎり自分は今のところ、安全、安心だからである。「いじめの問題」も全く同じ構図と言える。この現象にフロイトは「人間は人間にとって狼なのである」と分析している。そこで、それを誤魔化すために、できるだけ洗練された「正義」を掲げることが要求されるのだ。
「正義」の仮面によって自分の攻撃衝動を隠蔽しているのが現在の日本社会であり、それに拍車をかけているのがインターネットの存在だ。ネット上では匿名なので、心地よい「正義」感に酔うことができ、無上の快感が味わえる。しかし、著者は、この歯止めなき「正義」感ほど、怖いものはないと言う。辛辣な人間観察と毒舌で有名な仏のモラリスト文学者ラ・ロシュフコーは「正義とは、"自分のものを奪われはしないだろうか"という激しい危惧に過ぎない」と言っている。まさに、本質をついた言葉である。
「正義」の裏には「価値」の絶対性を主張する論理があり、その論理の後ろには、必ず「利権」がある。アメリカは「大量破壊兵器を保有するテロ国家をやっつける」という「正義」を掲げてイラクに侵攻した。その結果、大量破壊兵器は出てこなかった。イラク戦争の背景が結局、「お金」と「石油」だったことは、今では誰でも知っている。少し前に読んだ本では、『「正義」という文言を見つけたら、先ず「利権」と置き換えてみるとよい』というのがあった。これも至言だ。賢明な読者諸君は、このいわゆる「正義」という言葉には、くれぐれも注意されたい。
<プロフィール>
三好 老師 (みよしろうし)
ジャーナリスト、コラムニスト。専門は、社会人教育、学校教育問題。日中文化にも造詣が深く、在日中国人のキャリア事情に精通。日中の新聞、雑誌に執筆、講演、座談会などマルチに活動中。
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