<何に役立つかはわからない、それほどの先端科学>
――宇宙の神秘の一端を知ることができる、それだけILCはインパクトのある施設なのですね。ただ、「未知の素粒子を捕まえる」とか、「宇宙の始まりを再現する」という表現では、私たちは今一つピンとこないというのも正直な感想としてあります。たとえば、ヒッグス粒子が生成できたら何の役に立つのか。宇宙の謎が解明できたら生活が豊かになるのか。私たちはそういった狭いものの見方をしてしまいます。
吉岡 瑞樹氏(以下、吉岡) 「ILCができたら、どんな役に立つのか」ということはよく聞かれます。多くの方の関心もそこにあると思いますが、少なくとも私はそれが何の役に立つのかは考えたこともないですし、わかりません。何かの役に立つかもしれないし、立たないかもしれない。自然科学というのは、そういうものだと思っております。たとえば100年ほど前に電子が発見されましたが、当時はそれが何の役に立つのかはわかっておりませんでした。1世紀経過して、今の世の中を見れば、電子を用いない生活は考えにくいほどにまでなっています。また、ニュートン力学も、今では建築物の構造計算などでなくてはならないものになっています。ヒッグス粒子の研究やILCで得られるであろう新たな知見が何の役に立つのか、また、何が得られるのかは今の段階ではわかりません。しかし、新たな物理を見出してくれる可能性を高く持っていることは事実です。その物理が後の生活に何か役に立つかもしれないし立たないかもしれない。これは自然科学ではなく、応用の分野になります。どう応用されるのかは、私たち自然科学者にはわかりません。あるいは100年後に大きく世の中に貢献するものになっているかもしれませんね。
<自然科学者は農家と同じ、最高の研究をすることが使命>
――ILCは真の意味での最先端科学の実験場だから、そこでどういう発見があるのかすらわからない。ただ、それによって新たな知識や実験結果が得られて新たな理論が構築できるかもしれない。それを産業がいずれ応用するかもしれない。それは人類の歴史が証明している、ということなのですね。
吉岡 自然科学をやっている人は、農家と同じだと私は考えています。農家の方は野菜をつくりますが、何か特定の料理に使うための野菜をつくっているわけではないのです。ジャガイモをつくっている農家の方は最高のジャガイモをつくりたい一心で作業をなされています。最高のジャガイモをつくってスーパーに並べ、そこにコックさんが来てカレーにするのか、マッシュポテトにするか、ポテトチップスにするのかを決めます。自然科学者は農家で、応用はコックさんです。自然科学とその応用は、そういった関係にあると思います。ノーベル賞を受賞された小柴昌俊先生(2002年ノーベル物理学賞受賞。素粒子の1つニュートリノの観測に成功した功績による)は、そのニュートリノの研究について「何の役に立つのか」と記者に問われたところ「何の役にも立たない」とお答えになられました。私はそれを「何の役にも立たないということは、何の役にでも立ち得る可能性がある」と言うようにおっしゃったのだと理解しております。わからなかったことがわかるということは、それだけでも知的探求という意味で大きな意義がありますし、後の世でそれがあるいは生活を一変させるような応用が成されるかもしれません。
――自然科学の大きな発見と人類の歩みはタイムラグがある。そのようにして人類は生活を豊かにしてきた、ということなのですね。
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<プロフィール>
吉岡 瑞樹(よしおか・たまき)
九大准教授。高エネルギー加速器研究機構(通称KEK)の研究員を経て九州大学へ。福岡県が主催する市民向け科学講座サイエンスカフェにも積極的に参加し、市民の科学への興味を盛り上げる活動も。
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