我が国最大級の地熱発電所を有する、大分県九重町の八丁原地区。地質調査から数えると、同地区の地熱発電の歴史は60年となる。現況は、九州電力によって開発された2基が稼働中である。その2基の出力は、11万2,000kWで、地元のアナリストは「我が国最大で、世界のトップクラスです。なぜなら日本が地熱発電においては、資源量で世界3位、設備容量では世界8位です。日本で最大級の八丁原は、世界有数の地熱発電所ですよ」とコメントする。その八丁原地区は「さらなる地熱発電の可能性が秘められている」と業界内外でクローズアップされている。我が国の地熱発電の概要を交えながら、八丁原地熱発電所の現況と今後の可能性についてレポートする。
<94年前に調査が始まる>
我が国の地熱発電のルーツは、94年前にさかのぼる。1919(大正8)年4月、当時の海軍中将・山内万寿治氏が将来の石油、石炭枯渇に備え、代替熱源として地熱利用を進めるべく国内を踏査。その結果、現在の大分県別府市での掘削に成功した。25(大正14)年11月には太刀川平治博士が山内氏の事業を引継ぎ、我が国最初の地熱発電(出力1.12kW)の開発に成功した。しかしその後、地熱発電の開発は頓挫し、第2次世界大戦が終わるまで大きな発展は見られなかった。
戦後の1947年1月になって、地質調査所が地熱開発地域の選定に関する調査研究を開始した。49年には、九州配電(現・九州電力)が大分県下の地熱地帯調査と発電の研究を開始。56年11月には、東化工(現・日本重化学工業)が岩手県松川で地熱開発調査を開始している。そして66年11月、商業ベースとしては我が国初となる地熱発電所「松川地熱発電所」(出力9,500kW)が、総工費20億円をかけて竣工し、運転を開始した。日本で最初に調査を開始してから、実に半世紀近くが経過してからの本格的な地熱発電所での稼働となった。なお、八丁原の地熱発電所は、第1号機は77年6月、2号機は90年6月に稼働が開始された。
現在、我が国では事業用・自家用を合わせて17カ所で地熱発電所が稼働している。
<地域環境との共存共栄>
大分県九重町は、阿蘇くじゅう国立公園の山々に囲まれた風光明媚なところで、温泉郷として著名な土地である。同町八丁原での地熱発電所建設・稼働にあたり、地元の温泉事業者が心配したのは、温泉への影響と地域環境との共生であった。そのため九州電力は、地元代表者の立ち会いの下でモニタリングを行ない、湯量や湯質の変化の測定を実施。とくに大気環境に関しては、約30年間にわたって大気、風雨、直射日光に試験体をさらし、化学的・物理的性質の経年変化を調査する『暴露試験』を行なった。その結果、温泉事業者や地域住民の理解を得られたことで、今日の八丁原地熱発電所が存在する。
現在では、自然エネルギーへの関心度が高まっていることと、我が国最大級の地熱発電所ということで訪問者が増加しており、九重町の観光スポットとなっている。地域との共存共栄が成立している事業モデルの代表格が、この八丁原地熱発電所である。
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