今年こそは家で大人しく過ごそうと思っていた誕生日。しかし、日付が変わった瞬間から、中洲関係者から多数送られてきた『お祝いをかねた営業メール』がそれを許さない。今年も中洲で「ハッピー・バースデー」。行きつけの店の店長らと誕生日の思い出話が酒の肴となった。
S嬢は、高級クラブで新米だった頃のエピソードを語る。誕生日のクラブ嬢は、お店にとって強力な営業ツール。店の先輩方から「Sちゃんが誕生日だから、一緒にお祝いしてね」「花はいいから、店に来てもらったほうが喜ぶから」との誘いを受けたお客が、いい所を見せようと張り切って店にやってくる。
「泥酔して帰って、次の日気がついたら、左腕にロレックス、右腕にはエルメスのバッグ。こんなにもらってどうしよう、って二日酔いが吹っ飛びました」とS嬢。店の先輩方から贈られた豪華プレゼントの数々に背筋が凍った。当然ながら、それらはタダでもらったわけではない。先輩方のテーブルを次々と回り、お客から祝いのドンペリを入れてもらい、飲みまくって売上に貢献したのである。
「みんな均等にしなければ、あとがたいへん!」というS嬢は、各テーブルで20本ずつドンペリを入れてもらった。そして浴びるほど(最後は泥酔して実際に浴びたらしいが)ドンペリを大量に飲んだ。それから翌日目が覚めるまで、何が起きていたのかは覚えていない。「来年もまた同じ感じになるのかなって思うと、誕生日が怖くなった」という。
店長が中洲に来て風俗店従業員として働き始めた頃、店の子から誕生日にもらったのはコンビニで売っているウィスキーの小ボトル。「覚えていてくれたことがものすごく嬉しかった。中身じゃなくて気持ちが大切だ」と思った。そして、飲み屋の店長になって迎えた最初の誕生日、常連のお客たちがプレゼントとして持ってきたのは2万円ぐらいはするだろうかという特大サイズのケーキだった。
「涙が出るほど嬉しかった」という店長は、張り切ってケーキを完食。しかし、その翌年の誕生日、また、特大サイズのケーキが贈られた。「それが恒例になってしまいまして・・・。今では誕生日が近くなるとケーキを見るだけで気分が悪くなります」と、店長。
小生も中洲に通うようになってから誕生日の夜の記憶がないことが多々。後から考えれば、祝ってもらったのか、店を祝ったのか、わからないくらい飲んだことがほとんどだ。今年の誕生日は、中洲のハッピー・バースデーに少々つかれた者同士で静かにシャンパンを乾杯した。
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長丘 萬月 (ながおか まんげつ)
福岡県生まれ。雑誌編集業を経て2009年フリーに転身。危険をいとわず、体を張った取材で蓄積したデータをもとに、「歓楽街の安全・安心な歩き方」をサポートしてきた男の遊びコンサルタント。これまで国内・海外問わず、年間400人以上、10年間で4,000人の歓楽街関係者を『取材』。現在は、ホーム・タウンである中洲(福岡市博多区)にほぼ毎日出没している。
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