<新しいことに積極的に取り組む姿勢こそが真の保守だ>
熊本県議の溝口幸治氏は1989年4月、高校を卒業後、人吉商工会議所に就職。地元のまちづくりに汗を流していたが、10年ほど経った頃、「仲間から地元市議を出そうよ」という話が持ち上がる。担当者として候補者探しに奔走していたが、「借金がある」、「家族がいる」などの理由で断られる。困っていたところ、先輩や後輩から「じゃあ、お前やれ」と白羽の矢が立つ。「政治家志望ではなかったが、軽い気持ちで引き受けた」。保守系無所属として当選する。
「人吉市を良くするためには、人吉市という枠内で仕事をしていてはダメだ」。人吉市を活性化させるには、同市と隣接する球磨郡を加えた人口10万人規模の経済圏全体として捉える必要があると考えた。そのためには「広域的な仕事ができる県議になりたい。そうすることによってこそ人吉市の役に立てる」と出馬を決断。自由民主党推薦候補を破り、当選を果たす。
「熊本県議会には、地域に根ざした活動に携わる人々が選挙に勝ち、議員になった後、自民党に所属し会派をつくる伝統がある」。溝口県議も当選後、自民党に入る。目的は「国と県と市町村のラインづくり」だった。「議員になる以上、仕事をしなきゃいかん。地元人吉のためにも、自民党を働く場にする必要があった」と振り返る。名より実をとる決断だった。地元の人吉市支部は自民党入りに反対したが、熊本県連は受け入れを表明。約1年後にねじれは解消される。
「熊本県の文化財の9割は人吉球磨地区にある」。県議として力を入れたのが、「人吉球磨の宝」である青井阿蘇神社を国宝指定にする運動。「国宝になることで地元が盛り上がるし、新たな価値付けにもなる」からだ。調査委員会設立などに尽力した結果、2008年6月、運動は現実のものとなる。「人吉球磨の文化財に光を当てることは私のライフワーク」、「文化財と経済をどう結びつけるかが最近の大きなテーマ」と力を込める。このほか、中小企業振興基本条例、地産地消推進条例など議員提案による条例づくりにも注力した。これまで4本の条例に関わってきた。
県議会の自民党会派では、常任委員会に合わせ、「課長以下の職員との平場の勉強」をする6つの部会を設置。侃々諤々の議論が繰り広げられることもある。「とにかく議員が勉強に熱心。国や市町村との連携も緊密。熊本県議会が先進的なところだ」と言う。その成果として、13年1月に国が出した緊急経済対策にともなう841億円の補正予算の計上を挙げる。全国6番目の予算規模となった補正予算を組めたのは、「国に対し事前に必要な事業を要望していたので、ガチっと合わせられた」からだ。「この額は福岡県よりも大きい」と溝口県議は胸を張る。
県議として3期11年目を迎える。経済、厚生、文教治安の各常任委員会の委員長を歴任。現在、道州制問題等調査特別委員会委員長を務める。党のなかでは、全国の地方議員を束ねる青年局中央常任委員会議長、自民党熊本県連青年局長の要職にある。「進化を恐れず、伝統を守る」が政治信条。「新しいことに積極的に取り組む姿勢こそが真の保守だ」と語る。「最大会派に属してはいるが、日頃から変えるべきは変えると主張している。与党内野党みたいな立ち位置」と分析する。
地方議員ネットワークである龍馬プロジェクトの副会長にも名を連ねる。「日本のために立ち上がる超党派の優秀な若手議員のネットワークを広げていくことに強い魅力を感じた」、「青臭いことを言っていると思うこともあるが、自分が忘れかけていた熱気に刺激を受けた」のが参加理由。「若い議員達は不条理なことを経験することもあるだろう。そのときには私がグッと後ろで支え、一緒に戦う覚悟だ」。若手議員の精神的支柱として、龍馬プロジェクトに欠かせない存在のようだ。
※記事へのご意見はこちら