<政治家として、どこまで我が事と思ってやるのか>
「学習塾という箱のなかではどうしようもない。まちの環境を変えなければ」。
那珂川町議の森田俊文氏は1991年から那珂川町で学習塾などを経営。当初は「優秀な子どもの可能性」ばかり見ていたが、ある時期から不登校などの問題を抱える中学生の現状に向き合うようになる。「家庭格差が教育格差につながっている」と直感。町の教育行政のあり方に疑問を感じ始めたのが、町議出馬を決めたきっかけ。2009年3月、当選を果たす。
町議になって、教育格差を是正するための新たな施策を執行部に要望する。だが、その度に「予算がない」とかわされてしまう。同町には全国的にも珍しい町立の高等学校があるため、なかなか他に予算が回せないのが大きな理由だった。「予算がないと言われてしまうともうおしまい」。その後、教育に関する提案を避けざるを得なくなる。「町議の仕事に限界を感じ始めた」と心境の変化を話す。
同町は11年、全小中学校の全教室にエアコンを導入することを決める。東日本大震災後、太陽光発電の設置も加わり、総額8億円(うち補助金3億円)の事業費を計上した。「私の提案には予算がないと一蹴しておきながら、町長のトップダウンでこれだけの事業費を決める。これは何だとものすごい違和感を覚えた。話が違うだろうと」。福岡県内の自治体ですべての小中学校にエアコンを設置している自治体はない。隣の春日市は扇風機で対応し、ソフト部門に予算をかけている。「町長とは教育に対する考え方がまったく違う」。これを機に、町長選への立候補を決意する。
「政治家として、その原点は、今後どこまで我が事と思ってやるのか、そのためにどんな行動をしていくのかを明確にする必要がある。それを林塾で徹底的に叩きこまれた」。町長選出馬に際し、影響を与えたのが林英臣氏の主宰する政治塾の教えだった。「勝てる選挙しか戦わないなら、いつまで経っても出馬はできない。町民に自分の主張を訴えるためだけでも出馬する意味はある」と考えた。
12年8月の町長選では、日本を背負って立つ若者を輩出する町を目指す「なかがわシティ構想」を提唱。16名中11名の町議が現職候補支援に回る厳しい情勢のなか、5,000票近い得票を集めたものの落選。選挙期間がお盆の時期に重なり、投票率(35.72%)が伸び悩んだのも敗因となった。「開票直後は負けた気持ちがしなかったが、1カ月ほど経つと悔しさがこみあげてきた。それと同時に次は必ず勝つという強い気持ちも芽生えてきた」と振り返る。
ただ、次の町長選までどうするか。衆議院議員の秘書の話もあったが、やはり「地元に身を置きたい」という思いに至り、町議としての再スタートを決断する。13年3月の町議選では、「次期町長選を目指す」ことを宣言した。議員選で首長選への出馬を掲げるのは異例。ある町議からは「任期途中で辞めるのは有権者に失礼」との批判も上がったが、「町長選に出ると言って町議選に出ているのだから、有権者に大して失礼には当たらない」と突っぱねた。その結果、定数17名中2位という成績で7カ月半振りの返り咲きを果たす。
6月議会では今秋建設予定の公共施設「こども館」に関する質問に立った。これについても町長とはまったく考えが違う。「現職の町長と次期町長選を目指すという議員がいるというのは行政職員にとってはやりにくいのでは」と苦笑する。次の町長選まで3年余り。周りから見ればはまだまだ先の話だが、森田氏にとってはどうだろうか。
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