<欧州のヒポクラテスと日本の縄文時代!>
――「デモクラシー」に変わる新しい「社会秩序」について説明いただけますか。
平野貞夫氏(以下、平野) 今、世界の先進国で、「デモクラシーが正義」という考えを見直そうとする動きが起きています。ヨーロッパでは、医者、哲学者、思想家であるヒポクラテスの考え方、日本で言えば縄文時代のものの考え方などが注目されています。
現代社会には、国際問題、地球環境問題など政治の対象となる問題はたくさんあります。しかし、小沢氏もよく言うのですが、政治の役割、政治家が考えなければならないのは、「どうやってみんなが豊かに幸せに、そして安全に暮らせるようにするか」、つまり「国民の生活が第一」に尽きるということだと思います。
<吉田元首相「憲政の夢」の最後の継承者!>
――改革者であり続けることは大変だと思います。小沢一郎氏のそのDNA、エネルギーはどこからきていると思われますか。
平野 それは難しい問題です。おそらく、先天的なものと後天的なものがあると思います。
私は、小沢一郎氏の「ゆるぎなさ」と「一貫性」という政治的遺伝子は、父親の小沢佐重喜氏から受け継いだものと考えています。佐重喜氏は私もよく存じ上げているのですが、小学校もろくに出ていないにもかかわらず、車引きや新聞配達をしながら弁護士になり、そこから政界(建設大臣、運輸大臣、郵政大臣等を歴任)に転じた立志伝中の人物です。そして同時に、ゆるぎなき信念・信条の人でした。
しかし、後天的に、もう一つ忘れてならないのは、小沢一郎氏は吉田茂元首相の最後の継承者であるこということです。小沢一郎氏は、父親が尊敬してやまなかった吉田元首相が果たしえなかった憲政の夢「政権交代のあるデモクラシー」を受け継いでいます。私は、吉田元首相には大変にお世話になっているのですが、日本に議会制民主政治を定着・発展させることを重要な政治テーマにしていました。
2人には面白いエピソードが残っています。吉田元首相は、第二次吉田内閣が成立したとき、「デモクラシーの実現には政権交代が必要で、その為には社会党を育成しなければならない」と発言、当時の社会党に「よけいなお世話だ」と言われているのです。
一方、小沢氏は、自民党の幹事長時代、政権交代を行いやすくする衆議院選挙制度の改革「政治改革大綱」の実現を自民党の衆参両議員に要請して、「自民党が政権から下りるような改革は必要ない」と反対されています。この「政治改革大綱」の主旨は、非自民・細川連立政権で成立します。
このことで、小沢一郎氏は嫌われ、忌諱されることになります。しかし、私は、この小沢一郎的なものは、これからの日本の主流・本流、世界でも主流になっていくものと確信しています。
<国際社会で生きていく若者に万次郎の智慧!>
――最後に今後の著作活動に関してお聞かせ頂けますか。
平野 今、2つアイデアを温めています。1つは、私は、高知の出身で、郷里の偉人に「ジョン万次郎」がいます。財団法人ジョン万次郎ホイットフィールド記念国際草の根交流センター(CIE)財団(小沢一郎会長)で私は現在、評議員をしています。このジョン万次郎が幕末から明治維新まで何をやり、何を悩んだのかを、やさしく中学生向けに書いてみたいと思っております。これからの国際社会で生きていく若者に彼の貴重な智慧を届けたいのです。坂本竜馬も、後藤象二郎も、万次郎にデモクラシーの原点を教わっています。
もう1つは、日本の議会制民主主義が機能していた時代の政治家、私が仕えた前尾繁三郎氏、園田直氏や同時代に生きた保利茂氏、水田三喜男氏、椎名悦三郎氏等の直接的人間像を書いてみたいと思っています。後に続く、若い政治家の方達に役に立つ智慧を届けられるのではないかと思うからです。
――本日はありがとうございました。
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■日本一新の会について
平野貞夫氏が代表を務める、2010年6月発足の任意団体。「日本一新」とは2000年の総選挙で、当時の自由党党首小沢一郎氏が提唱した運動である。その後、民主党で「共生社会の実現論」に継承され、「国民の生活が第一」という政治目標になり、09年の政権交代を成功させた。現在は、「生活の党」の理念に継承されている。
<プロフィール>
平野貞夫氏
1935年、高知県生まれ。法政大学大学院社会科学研究科政治学専攻修士。衆議院事務局に入局。園田直衆院副議長秘書、前尾繁三郎衆議院議長秘書、委員部長等を歴任。92年衆議院事務局を退職して参議院議員に当選。以降、自民党、新生党、新進党、自由党、民主党と一貫して小沢一郎氏と行動をともにし、小沢氏の「知恵袋」、「懐刀」と呼ばれている。『平成政治20年史』、『小沢一郎完全無罪「特高検察」の犯した7つの大罪』他著書多数。現日本一新の会代表。
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