<業界での情報ネットワークづくりはピカイチ>
福岡市のOBから次のようなメールが送りつけられてきた。「当時、博多港開発の主導権を獲るよう指示されていたなかで、ケヤキ・庭石の莫大な転売益を握った輩がいた。今回は当時と大差のない上利ですから『第2のケヤキ・庭石事件』です」と。
さて、河野貞雄氏は福住を1975年3月に設立しており、今年で38年になる。筆者が河野氏に関心を持ったのは87年前後の冬であったか、春であったか、中洲の或るスナックで地元銀行のOB専務とカラオケに興じていたのを目撃した時からである。「さすが!!河野社長のトップセールスの努力は涙ぐましい」と、感服したものだ。福岡市とのパイプも近年、形成されたものではない。山崎広太郎市長時代においても支援の集まりで同氏にはよくお会いした。その当時でも「福岡市へのパイプはかなり太いな」という感触を得ていた。そのあたりの業者とは蓄積の歴史に各段の差がある。
前号で記述した通り、福住のビジネスモデルは『仲介と管理』である。強固なネットワークを駆使して膨大な不動産情報を集積する。必要とする購入見込み先に的確に情報を流す。過去、5回ほどマンション分譲用地を購入したことのある経営者が舌を巻く。「最近のことだ。1件の物件を持ってきたが単価の面で折り合わず流れた。そうすると1週間しないうちに別の案件を持ってくる。『商売になる』と判断して商談にのることにした。情報収集力、手持ち案件は三好不動産を凌ぐのではないか!!」と、絶賛するのだ。
同社から2物件購入した業者は「信託銀行などと接点は強いね」と、高く評価する。「福住さんは駐車場、不動産管理物件のストックビジネスの収入で人件費の経費は賄えるよ!!あとの仲介収入はまる儲けになる強い企業体質を構築している」と断じる。
<都筑学園総長の懐に飛び込む>
河野氏の巧妙なトップセールスの能力は以上の通りだ。この特性を如何なく発揮したのが都築学園の総長の懐に飛び込んだ時である。昭和50年代の終わりから付き合いしている経営者が次のように証言する。「福住さんが大きな幹を打ち建てられたのは都築学園さんとの取引があったからだろう」と。一時はこの学園が購入する不動産には必ず福住が仲介していたことは業界の語り草になっている。平成初頭のバブル時代に大手不動産会社の代理店をしていた仲間が「河野さんは『年収5,000万円稼いでいる』と言っていた。それから25年近くなるから個人でも桁違いの金を貯めている」と、一目も二目も置いている。
平成の時代になって2回、バブルの破裂があった。しかし、河野商法は『仲介と管理』に特化した安全・堅実がモットー。だからバブルで大損することはまずなかった。着実に稼いできたのである。この堅実経営に対して金融機関は好感を持った。だから地元の福岡銀行、西日本シティ銀行が優秀な銀行マンを出向させてきた。河野氏はこれを有効に活用して銀行が抱えている不動産情報をシコタマ入手してきたのである。ここに『福岡で断トツの不動産情報を持つ福住』という定評を得た。
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