<高島市長がコケにされた日清製粉移転>
福岡市中央区那の津ふ頭に日清製粉の工場建設が発表されたのは、高島市長が誕生したスタートの時期であった。「市長!! 貴方が長らく務めていたKBCの目の前にある那の津湾岸地区は、ウォ―ターフロント再開発指定地区であることは御存知なことでしょう。それなのに素材産業の塊である製粉工場を持ってくるのは時代錯誤でありませんか?」と質問してみた。この案件でも、福住が水面下で画策していたことを証言する関係者は数多い。
「いやー、幹部たちから『時間がありません。印鑑を押してください』と迫られて検討する余裕のないまま印鑑をついてしまった」と、高島は苛立ちを隠さずに答えた。福岡市役所に颯爽と入り込んでも周囲は、前市長の選んだ幹部たちばかりである。無知な新市長を誑かすのはわけないことだ。プライドを傷つけられた高島は「人事を早く決めないと自分の好きなことはできない」ことを知った。そこで腹を括って新三役など決定したのが2011年3月である。したがって4月からが高島体制と言える。
<独断で決定した中央児童会館解体、中央保育園移転>
自尊心だけは人の10倍強い高島は、早く市長権限を活用して己で方針決定することにはやっていた。そこに登場してきたのが、中央区今泉にあった中央児童会館の建て替えであった。もともと中央保育園は、同会館敷地内での建て替え方針が決まっていた。だが、自分のカラーを一瞬でも早く打ち出したい軽薄な本人が、「中央保育園は別の場所に移転・新築、児童会館は解体して付加価値のある建築物をPPPでやる」と、骨子を漏らしたのは2011年5月である。
この市長の思いを実現しようと新三役・関係者たちは奔走した。それはそうであろう!!抜擢されたばかりの幹部たちは「殿の意向を具現化させたい」と、忠誠心を発揮して東奔西走する。2カ月後の7月には、中央保育園の移転予定地が内定した。役人もたまにはスピーディな仕事をする(この経緯の不透明さ・偽善さの暴露は《HUNTER》・弊社のNET‐IBを参照されたし)。
この時期から高島の変質が始まった。権力者の醍醐味を知ったのである。「役人たるものは首長の命令に従順なのである」と錯覚したのだ。わかり易く言えば「『山形のサクランボが食べたいなー』とつぶやけば側近がさーとサクランボを差し出すものだ」と勝手に思い込んだのである。権力者の驕りを身につけだしたのだ。振り返ると、たしかに2011年5月を境にして、7月頃から高島の独走が鮮明になってきた。
独走するのは構わない。自分で結果責任を取ればよいのだ。しかし、権力者の驕りの最悪は責任を部下に覆い被せるパターンである。この弊害が露わになるようになった。旧幹部も現役も多くが「すべて部下たちに責任を転嫁する男だ」と、指摘するようになった。高島は「部下たちが心底から忠誠心を持って貢献するのではない」ことを知るべきであろう。そうしないと近々、致命的なしっぺ返しを浴びることになる。各人各様の魂胆を持って表面づらはペコペコするものである。「日清製粉工場の移転決定では恥をかかされた」と、高島は感じているのだが、今回の中央保育園移転で最大の漁夫の利を得たのは福住なのだ。
≪ (3) |
※記事へのご意見はこちら