もう1つ、鈴木義男氏の発言のなかで注目されるのは、国連加盟国が一致して安全を守る義務があり、消極的孤立に陥ることなく、平和機構への積極的参加を促している点である。これは、国連軍への参加に連なる考え方であるし、国連平和維持軍(PKF)への参加もまったく問題ないことを意味する。
同じく昭和21(1946)年6月28日には、野坂参三氏が共産党を代表して次のような質疑をした。
「戦争には、われわれの考えでは、2つの種類の戦争がある。1つは不正の戦争で、他国征服、侵略の戦争である。これは正しくない。同時に、侵略された国が自国を守るための戦争は、われわれは、正しい戦争といってさしつかえないと思う。いったい、この憲法草案に戦争一般抛棄という形でなしに、これを侵略戦争の抛棄、こうするのがもっと的確ではないか」
これに対する吉田茂総理の答弁は次のようなものであった。
「戦争抛棄に関する憲法草案の各項におきまして、国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私はかくのごときことを認むることが有害であると思うのであります」
もし発言者の名前を伏し、発言内容だけ示して、いずれが共産党で、いずれが政府の発言なのかを聞かれたら、迷う人もいるのではないかと思う。これら鈴木、野坂氏の発言を、社民党の福島瑞穂党首や共産党の志位和夫委員長はどう受け止めるのだろうか。是非とも1度は感想を聞いてみたい。
<保革対立から生まれた「護憲」主義>
社会党と共産党は、しだいに保守勢力による憲法改正を阻止する手段として、護憲主義をとるようになり、「護憲=反戦平和運動=社会主義国(ソ連)が平和勢力=反米」という構図を作り上げていく。「護憲」運動に同調した人たちのすべてが、イデオロギー的な親ソ反米主義者だったというのではない。「護憲」運動には多くの、いわゆる「戦争はイヤだ」という人類共通の自然な感情から反戦平和運動に参加する市民もいたし、今もいる。
しかし結果的には、社会党主導のイデオロギー的な「護憲」が憲法論議をいびつなものにしてきたのは事実だ。「護憲」運動は、「社会主義=平和勢力」を前提に、自衛隊を合憲とする改憲の可能性を封じるため、日本国憲法を一字一句もかえてはならない、とする硬直したものとなったのである。
<社民党のいい加減さ>
村山富市委員長を首班とする自社さ政権が誕生した平成6(1994)年9月3日、社会党は臨時党大会を開催し、自衛隊合憲、日米安全保障条約堅持、国連平和維持活動(PKO)への積極的参加、日の丸を国旗、君が代を国歌として認識、原発容認を決定するという年来の政策の大転換を行なう。
PKO法案に反対して所属国会議員全員の辞職願を提出し、長時間の牛歩戦術で抵抗した政党とは思えないぐらいの変貌ぶりであった。しかし、自社さ政権後は再び、頑なに「護憲」を掲げる党になってしまった。そして日頃は人権、人権と声大に騒ぐ社民党が、北朝鮮による日本人拉致事件が公になってからも労働党と友好関係があるということで、北朝鮮に対して曖昧な態度をとり、核開発にもダンマリを続けていたのが、土井たか子党首時代の社民党であった。
今までの経緯を見れば、「戦後一貫した護憲の党」を掲げているように見える社民党(旧社会党)の主張には、正直言って疑問が生じるのは当然である。
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<プロフィール>
濱口 和久 (はまぐち かずひさ)
昭和43年熊本県菊池市生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒業。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、民主党本部幹事長室副部長、栃木市首席政策監などを経て、テイケイ株式会社常務取締役、国際地政学研究所研究員、日本政策研究センター研究員、日本文化チャンネル桜「防人の道 今日の自衛隊」キャスター、拓殖大学客員教授を務める。平成16年3月に竹島に本籍を移す。今年3月31日付でテイケイ株式会社を退職し、日本防災士機構認証研修機関の株式会社防災士研修センター常務取締役に就任した。『思城居(おもしろい)』(東京コラボ)、『祖国を誇りに思う心』(ハーベスト出版)などの著書のほかに、安全保障、領土・領海問題、日本の城郭についての論文多数。5月31日に新刊「だれが日本の領土を守るのか?」(たちばな出版、現在第4版)が発売された。 公式HPはコチラ。
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