6月24日の理事会に、出席予定だった後任病院長のM医師が姿を現さなかったのはなぜか。関係者は、延吉正清理事長・病院長と清原雅彦弁護士の間の確執だという。
清原弁護士といえば、退任を表明した延吉氏の代理人を務め、ワンマン体制、向精神薬の不正入手疑惑に対する病院改革の動きに対抗して、延吉氏を理事長・院長の座に押しとどめた。その働きぶりは大きかった。延吉派新理事会が選ばれた際には理事に取り立てられ、今や理事会の立役者。延吉氏の側近中の側近だ。
理事であると同時に、小倉記念病院を運営する財団法人の代理人を標榜し、銀行に対し、借入金の返済義務はないなどの書面を送りつけたほどの実力者だ。労働組合との団体交渉も、清原氏が代表の法律事務所(弁護士法人リベラ)会議室で開催されている。
延吉派理事会は、延吉氏と清原弁護士が実権を握っているといっても言い過ぎではない。小倉記念病院の新体制に向けて、両氏が二人三脚で周到に準備してきたとみるのは、当然のことだ。
<珍事!後任の病院長に「来るな」>
ところが、理事会にM医師は姿がみせない。「どうしたことか?」。延吉氏といっしょに、後任を決める手はずを整えていた1人の理事は不思議に思ったことだろう。
関係者の証言を総合すると、その手はずを反故にして、延吉氏がM医師に「あなたが院長になるので明日来ることになっているが、取り消す」と連絡していたのだという。
なぜそんなことが起きたのか。延吉氏に「清原氏を信じていたら、ひどい目に合うよ」と忠告した人物がいたという情報に行きついた。
退任を表明しながら居座っている延吉氏の言い分は、「後任が決まったらすぐ辞める」というものだ。その言を100%信じれば、院長・理事長にしがみつくことなどサラサラない、はずだった。
しかし、権力者ほど疑心暗鬼に陥るものらしい。関係者は「『院長も理事長も辞めたら、小倉記念病院は清原に乗っ取られる』と注進した人物がいる」と解説する。
延吉正清氏には、現在の小倉記念病院を築いた自負がある。移転新築には莫大な事業費がかかり、病院経営を圧迫する懸念があるため、前病院長は「新病院を建てるなら私は院長を退く」とまで言って、移転新築に消極的だった。延吉氏は、その前病院長を追い落として院長の座を手中にし、延べ床面積約8万6,000m2、病床数658ベッド、職員数約1,300人の新生小倉記念病院を実現させた。延吉氏にとって、小倉記念病院が「私の病院」に映るのも無理はない。街で北九州市民に聞いても「みんな、社会保険病院から延吉さんの病院になったっち言いよるよ」と答えが返ってくるくらいだ。
<権力者の疑心暗鬼 生まれる人間不信>
「自分の病院が清原理事のものになる」。権力者がいったんそう思ったら、心の中に芽生えた疑心暗鬼という闇は際限なく広がり、思考を支配するものなのだろう。側近が有能であればあるほど、権力者には、取って代わられる恐怖が大きくなる。
延吉氏がワンマン支配体制を敷き、「クビだ」の常套句でドクターや職員らを押さえつけてきたことは病院内には知れ渡っている。理事長・病院長へ"復活"した延吉氏は、2013年5月、瀬尾勝弘副院長(麻酔科)ら4人の医師の懲罰的降格人事を断行。"粛清人事"の約2週間後には、病院に久しぶりに顔を見せ、居合わせたスタッフ全員の前で「わしが院長・理事長だから、わしの言うことを聞かないと処罰する」と言ったという。
権力者には、嫉妬と復讐心はつきまとう。病院内には"粛清"の嵐が吹き荒れており、次の嵐がいつ起きてもおかしくない。後任の病院長の理事会出席を断ったのも、権力の座を追われたくないという妄想の産物なのか。
疑心暗鬼は、すべての人間への不信を生む。専制と粛清でトップの座にしがみつく延吉氏の姿は、ソ連共産党のスターリンを彷彿させ、ロシア史上屈指の暴君であり孤独に苦しんだイワン雷帝がオーバーラップする。人間を信じられない人生とは! 延吉雷帝よ、そなたの人生は虚しい。
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