NET-IBでは、元阿久根市長である竹原信一氏のツイッターやブログをまとめて紹介する。
今回は、3日午前6時17分から5日午前10時4分までのツイートを紹介する。
向上心には「今の自分は低い」と決め付ける必要がある。視野が狭くなり競争意識が強化され、たやすく権威を受け入れる心理状態になってしまう。すなわち向上心は大衆を統制操作する国家暴力のひとつだ。主権者国民は国家に自分より上の権威を許してはならない。国家は道具。
食べ過ぎると体を壊す。しかし、カネと権力では自分の体を壊す事が無い。だから人間はやり過ぎる。特に公共権力には痛みを感じる仕組みが無い。ほとんどの住民代表は、当選と共に心理的に役所の部品に組み込まれてしまう。当選時のバンザイは考え違いの証拠。
人々は権威に病んでいる。権威に脅え、権威に憧れ、自らの権威を放棄し、周囲を攻撃して無責任集団へと引き摺り下ろす。国家に権威を捧げ、国家の犬となるのを理想としている。結果、破壊的な劣等感が蔓延している。
集団は無責任暴力になりやすい。多数決などをやるおかげで誰も責任感を感じずに済む。これが議会や組合、第三者委員会。役所の責任者は住民代表。彼らを操るのが役所の仕事。住民の痛みが届かないようにして公務員集団の餌食にしている。役人は市民の現実を隠す。
無痛の公権力は人間的な神経を麻痺させる。組織全体が痛みを受けないのでどこまでも暴走する。権力に痛みを導入しなければならない。痛みが健全性を確保する力になる。公務員組織は自らが受ける痛みによって秩序を維持するようになり、強制からの自由を得る。
三権分立はすでに失敗した。権力と痛みの距離が遠すぎたのだ。日常的に痛みを認識できれば自浄作用が働く。痛みによってこそ社会がひとつになる。
国民は自らを国家の下に置いている。国家権力の責任者が自分であるのを全く理解していない。自分を引き下げ勲章を尊敬する。そんな調子だから役所や裁判所、国会などのお芝居を真に受ける。保護しあう彼らは立場の奴隷、くだらない権威をかざすサル芝居集団だ。
日本人は市民と臣民とに分裂している。ひとりの中でも心理的な分裂があって、自分の人生に責任を負っているのに、世間への気兼ね(偽善)なしには物事を判断できない状況に陥っている。
人類は心理的欠陥に苦しんでいる。彼らには苦悩の原因が理解できていない。欠陥の認識も無い。欠陥ゆえに、ごく僅かの人しか指摘を受け入れる事ができない。
日本国家は無痛無責任を自らに授けた公務員権力の草刈り場にすぎない。無責任権力によって日本人は苦悩と自滅への道をひた走っている。「その時々における自分と仲間の事しか大切にできない」という心理的欠陥をわかっていないだけの事なのだが。
ある老婆の言葉「おカネを持って死にたい」。
「いったいこの国はどうなるのでしょうか?」国家が無いのですから無責任権力がやりたいようにやるだけです。高齢化や年金破綻などよりも、無責任無産権力(公務員権力)の拡大が実際の問題なのです。
国家は人びとを怖れさせ偽善をはたらく。不安の原因を作って国家権力にすがりつかせる。そうしなければ公務員という無痛無責任権力と高い給料を維持できない。仕組みを知った国民が目覚めてしまうだからだ。
NHKはたちが悪い。日本は今この瞬間も2か国間のODAで、あるいは日本が最大の出資をしているアジア開発銀行から、あるいは米国に次いで日本が資金を提供している世界銀行から膨大なマネーを中国の環境対策に供与している。更に大気汚染にも。
Link:むごすぎるNHK その(1) - 青木直人BLOG
人はカネと権力を欲しがる。それを獲得した政治家と公務員はそれらが減らされる事を極端に嫌い、恐怖する。そこで、国民を脅かして自らをその保護者に仕立てる。社会の不平等や機能不全、不安の原因は、痛みと責任から自らを解放した公務員権力組織なのである。
私達は知らないものを怖れる事はできない。では、なぜ死を怖れるのでしょうか?死を怖れているのではなく、関係を失うのを怖れているのです。苦悩との別れにも恐怖しています。死は救いであり苦悩からの開放です。人生にはもともと救いが組み込まれています。
Link:『文殊菩薩(ブログ版)』火事場泥棒と同じ財務官僚 サラリー族は暴動を起こせ 「日々担々」資料ブログ H.25/08/01
YouTube:NHKからの被害は二つ 経済被害と情報被害
憲法第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。 ○2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
この公務員とは政治家だ。政治家が支持者や地域のために働くのは違憲行為である。違反者が通常。
官僚、裁判官、普通公務員は国家権力の労働者に過ぎない。そのような彼らに「全体の奉仕者」が勤まるわけが無い。政治家に自覚と能力がないので、普通公務員らが「全体の奉仕者」を補完しているうちに政治を乗っ取った。選挙が公務員からのエサ貰い合戦になった。
憲法15条のいう公務員は、選挙で選ばれる特別職の公務員(政治家)だけである。行政執行の都合で雇われた職員が「公務員」と云う名前と共に、権力と責任に伴う保護、更には労働者としての権利まで握っている。事実上、無責任の過剰権力集団である。
選挙で選ばれる特別職公務員(政治家)が全体の責任者になれないで、公務員権力からのおすそ分けをいただく臨時職員になっている。投票する人たちが全体に奉仕するつもりが無いので、全体の奉仕者を選ぶわけが無い。公務員組織の乞食議員、乞食首長になってしまう。
憲法を変えるならば、まず公務員を「全体の奉仕者」という嘘から解放すべきだ。自分でやっていいこと悪い事が判断できる職業人にすることで人間性を手にする事ができる。過保護な職場にすれば不健全組織になるのは当然のなりゆきだ。
政治家を全体の奉仕者にしなければいけない。有権者が全体の奉仕者を選べなければいけない。選挙のあり方を変えなければいけない。全体の中から政治家に値する人間を選び出さなければいけない。今の様におバカ、権力欲、嘘つき上手、強欲、泥棒の手先ではダメなのだ。
Twitter:竹原信一 @takeharasinichi より引用
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