北九州都市圏屈指の総合病院として知られる九州厚生年金病院。その九州厚生年金病院の対応を巡り、ひとつの訴訟が動き出そうとしている。形の上では同病院と地元個人病院との確執が表面化したものだが、背後には、その上層部が抱える患者(受益者)軽視の姿勢と、医師の理論が支配する居丈高な体質が見え隠れする。地域医療を共に担う「地域医療支援病院」と地元医院との関係はいかに在るべきか――。
3.患者からは高評価だが・・・
ここで、電話でのやり取りをもう1度見直してみたい。まず前提として窺えるのは、1月19日に紹介した患者の対応を巡って、後藤院長とM副院長との間に意見の相違があったことである。また、「今後なるべく心を穏やかに、地域のために先生も私たちも医療をしたいと思っているわけでしょう」とのくだりから、以前にも同様のやり取りがあったことも窺える。
八幡西区浅川で医院を営む後藤院長は、物事をハッキリと伝える人柄である。それゆえ、紹介先の九州厚生年金病院とのやり取りにおいて、これまでも軋轢が生じていたことは想像に難くない。かといって、後藤院長が言いがかりをつけるような不良医師かというと、決してそうではない。1994年開業の後藤外科胃腸科医院は、個人経営の限られた人手のなかで救急医療に携わり、全身MRIのような高度な医療機器も導入している。いつ訪れても患者で溢れている様子から、後藤氏の長年にわたって真摯に地域医療に取り組む姿勢、分け隔てなく患者と向き合う姿勢が見て取れる。
他方、九州厚生年金病院(八幡西区)といえば、北九州ではだれもが知る名門の総合病院である。575床を有する巨大総合病院は、開業以来半世紀もの間、地域住民に愛されており、福岡県の災害拠点病院、地域医療支援病院、地域がん診療連携拠点病院といった様々な役割を担う。その名の通り、厚労省所管の厚生年金事業振興団を基盤としており、所属する医師に対する市民からの評判も上々である。
ただ、医療関係者からの評判は決して芳しくなく、とくに病院上層部に対する評価は辛辣だ。耳を傾ければ、「お役所体質」や「融通がきかない」(医薬業界関係者)といった一般的なものから、「人の命を軽んじるサラリーマン」(地元医師)といった厳しいものまで、総じて患者に向き合う姿勢の改善を求める声が聞こえてくる。厚生年金事業振興団を基礎とする関係上、上層部には厚労省からの天下りも多く、そこから生じる役人体質が地元医療関係者との間に溝を作っているものと考えられる。
4.深まる両者の溝
電話でのやり取りに話を戻そう。従来からの軋轢に端を発した本件通話は、後藤院長の「紹介状も書くなということですか」との問いに対するM副院長の「もう他の総合病院ないしですね、他の次善の策でやっていただくしかない」との回答で締めくくられている。
先に挙げた通話内容において、注目すべきはM副院長の「うちに依頼、期待いただいてもお応えできない」ので「他の総合病院ないしですね、他の次善の策で対応していただくしかない」との部分であろう。客観的に見れば、「今後、後藤医院からの紹介患者は受け付けないので、『次善の策』として『他の総合病院』に回すなりの対処をしてくれ」との意味内容を含んでいると言わざるを得ない。実際、筆者がそうであったように、後藤院長もM副院長の言葉を「紹介患者の受入拒否」と受け取ったという。
その後、九州厚生年金病院に対して紹介を控えるようになった同氏だが、日に日に九州厚生年金病院の対応に強い疑問を抱くようになったともいう。すなわち、地域医療の現場は、限られた人員で様々な症状の患者に向き合っていかなければならない。個々の患者に応じた適切な医療を提供するためには、専門技術を有する医師や高度な医療機器を保有する病院との協力体制の構築が欠かせず、それこそが国が推進する「地域医療支援」の本来の姿でもある。云うまでもなく、連携においては「患者のために何がベストか?」という視座が根本に据えられなければならない。
改めて患者の立場に立ちかえった後藤院長は、今後の協力体制を再構築するためにも、改めて九州厚生年金病院の姿勢を確認する必要があると判断。翌2月半ばに書面による回答を求めたところ、同医院から寄せられた回答文書は、首を傾げざるを得ない内容であった。
回答文書において九州厚生年金病院側は、「紹介患者の受け入れを拒絶した(略)事実はありません。(略)拒絶されたと主張されるなら患者名を明らかに願います」としながら、「後藤氏が(略)執拗にクレームを述べられてきたことから、(略)今後は厚生年金病院以外に患者を紹介することを勧めたものです」と主張する。つまり、(1)1月に紹介された患者を診療したのだから受け入れ拒絶は無く、(2)医師(医院)間の信頼関係が損なわれたことを理由に今後は他の医院に患者を紹介するよう勧めた、というのである。
回答文書が抱える問題点については後述するとして、歩み寄る気がまったくない点だけは明確に伝わってくる。受け取った後藤院長が再び態度を硬化させるのも無理はなく、これを契機に、同氏は訴訟の場での問題提起を決意。両者の溝は、ますます深まる様相を呈していった。
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