<福銀の二転三転の歴史>
平成初頭までは福岡銀行は得意先の面倒見においては徹底していた。企業は福銀との取引を誇っていた。バブル弾けて方向が定まらない時期があった。福銀から出向させて営業支援までしていた高木工務店が倒産した。これを契機にしてから方向感覚を喪失した。わからないでもない!!福岡市の第三セクターまで倒産の憂き目にあったから福銀首脳部が先行きに動揺し迷ったことは理解できる。1995(平成7)年あたりから98(平成10)年まで《メイン先でも潰す福銀》という評価が定着してしまった...(⇒つづきを読む)
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