国連教育科学文化機関(ユネスコ)は6月26日、カンボジアの首都プノンペンで開催した世界遺産委員会で、日本政府が推薦した「富士山」(山梨、静岡両県)を世界文化遺産に登録した。この件について、2005年から約9年間、「富士山を世界遺産にする国民会議」(会長:中曽根康弘元首相)のメンバーで同活動に尽力、現在も223(フジサン)フェローである「ときめきの富士」の写真家、ロッキー田中氏に話を聞いた。ロッキー田中氏の写真は、招福・開運を呼ぶ奇跡の写真と言われ、その作風から平成の「葛飾北斎」とも呼ばれている。
<富士山は「自然遺産」でなく「文化遺産」!>
――富士山「世界文化遺産」登録の重要な場面で、ロッキーさんの写真「ときめきの富士」が使われたとお聞きしています。
ロッキー田中氏(以下、ロッキー田中) 私の写真は2007年南アフリカで開催された「世界遺産委員会」の時に2点お使いいただきました。代表作である「黄金の海」と「心象の紅」です。この委員会で日本政府は初めて富士山の世界遺産登録を各国に承認申請しました。お役に立ててとても嬉しく思っております。
――ロッキーさんと富士山とのお付き合いは、どこまで遡ることができますか。
ロッキー田中 私と富士山との関係は17年になります。私がそれまでお世話になった富士ゼロックス(株)を退職、「ときめきの富士」の写真家として独立したのは1996年のことです。
富士山を世界遺産にという運動は92年に始まっています。この年に日本政府はユネスコ「世界遺産条約」を批准、富士山を「世界自然遺産」にする運動が始まりました。静岡県を中心に全国で246万人の署名が集まりましたが、96年を前後して文化庁は富士山の「世界自然遺産」登録申請を見送りました。
今から考えるとごく当然の結果でした。当時マスコミでは、その原因として、ゴミ問題を大きくクローズアップしましたが、それはあくまでも2次的な問題です。「世界自然遺産」になるためには、種の保存に重要な地域であるとか(絶滅危惧種がいるなど)、地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるとか大きく4つの条件があるのですが、富士山はどれも満たしていませんでした。ゴミがまったくなくても「自然遺産」登録は始めから無理だったわけです。
しかし、私にとっては、ちょうど「ときめきの富士」の写真家として、独立した時でしたので、とても残念なできごとでした。
ところが、2005年になり、今度は、富士山は「自然遺産」でなく「文化遺産」であるという運動が起こります。
富士山は古から「神の山・信仰の山」として崇敬され、「万葉集」に詠まれ、和歌・俳句に歌われ、伝統芸能、美術工芸など様々な芸術の対象になってきました。富士山の絵の代表とも言える葛飾北斎の「富嶽三十六景」は西洋の美術にも影響を与えたと言われています。山麓には、先人が残した歴史的遺産も数多く存在しています。
そこで、中曽根元首相を会長とする「富士山を世界遺産にする国民会議」が発足、そのメンバーに私も誘われ2005年から13年まで活動を続けてきました。私の目指す「ときめきの富士」はまさしく"文化"の富士であり、山をアップで克明に撮る"山岳"の富士とは違います。
この時、自分の時代が来た予感がしました。そこで、富士山「世界文化遺産」登録実現のために、ぜひとも私の写真を役だてて欲しいと思ったわけです。
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【注1】 223(フジサン)フェロー
「富士山を世界遺産にする国民会議」の活動に賛同した各界の著名人(長嶋茂雄、市川團十郎、片山右京、小林亜星、千玄室、三浦雄一郎、奥田英二等各界から多彩な223人)で構成。
<プロフィール>
「ときめきの富士」の写真家 ロッキー田中氏
福井県生まれ。1999年アテネ市世界芸術展大賞、2001年マスターズ大東京展最優秀作家賞、2003年第35回新院展に於いて「天空に舞う」が文部科学大臣賞受賞。「富士山を世界遺産にする国民会議」評議員(2005年~13年)、同223フェローメンバー。著書として「ときめきの富士DVDブック」(評言社)、「誰も見たことのないときめきの富士」(飛鳥新社)他多数。TV出演、新聞、雑誌の取材等多数。東京都品川区に「ときめきの富士アートサロン」、山梨県富士吉田市に「山のアトリエ」を開設。富士山に心を寄せる人のオアシスとなっている。
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