<自然の摂理と感応した時に最高の写真が生まれる!>
――富士山写真家を名乗る人の多くは、静岡県とか山梨県に住んでいると聞きます。しかし、ロッキーさんは、100キロ離れた東京に住み、「撮影日は富士山が決めてくれる!」と言われます。どういうことでしょうか。
ロッキー田中 私は独立する前、毎週のように富士山に通いました。そして、富士山の呼ぶ声が聞こえるようになるまで、数え切れないほど、場所ごと、時間ごと、季節ごと、天気ごとの変化を自らの足で探索し細胞に記憶させてきました。その結果、東京にいても富士山周辺の気流や大気の変化や雲の湧き方がありありと想像出来るようになりました。
青年時代から写真以外の美術、芸術にたくさん触れて、美の蓄積を続ける傍ら、気象ノートを書き続けました。そして、独立をした時にはすでに、これから出会う「ときめきの富士」99景を心の中に描くことができていました。
今では「明日、あの場所、あの時間!」とインスピレーションが湧いたら、夜中に2時間車を飛ばし、そのシーンの発生する1時間前にピンポイントでその前に立つことが可能になりました。実は100キロ離れていることは利点でもあるのです。それは、山麓で待機すればそこからの光景しか見えませんが、完全に離れれば全方位(360度)がイメージ出来るのです。
「秋に谷間の落葉松に山越しに光が入って、木々の頭が輝き、周り全体が赤くなって、そこにシルエットのように富士山が浮かび、雲が金色に輝くのは、何月何日の何時か」ということを研究するわけです。ある意味では、科学的と言うよりも、自然の変化が体感できているからとも言えます。感性的なものも含まれているかも知れません。
一方、例えば、ある時、山の中に行き「今は紅葉の手前で来週の頭ぐらいに紅葉が真っ赤になりそうだ。では、撮影は何時ごろが良いのか。夜明け直後なのか、早朝なのか、昼間なのか」を計算します。これらはかなり科学的で確率が高いものです。
もちろん、1作、1作の背後には、世に出ない1,000枚の写真があります。1,000枚の代表の1作が世にでる99作の1つです。
例えば、今日は9月の始めです。夜明けの太陽は、夏は東北東の方角から、秋分の日前後は東の方角から昇ります。そこで、頂上から見る太陽を撮影しようと思ったらどこに行けばよいのか、朝霧高原なのか、静岡県と山梨県の県境の深い山から見れば良いのか、
あの道の駅から130m西にずれた場所なのか、200m東にずれた場所なのかを研究します。雲海がいつ出来るのかも、そのためにはどんな気候条件が必要なのかも分かります。
これらは富士山情報の蓄積と美の探求の賜物です。時々、その写真に最高に相応しい"虹"を天からプレゼントされることもあります。
私は世界で唯一の「ときめきの富士」の写真家です。「ときめきの富士」の写真家であるためには技術的な腕を磨くだけでなく、1枚の写真から滲み出る情感と息吹が欠かせません。写真というのは、つまるところ、「自分が何十年間生きてきた人生観」で風景を如何に観るかに尽きます。どの場面に心が動き、どこを主役にして添景と調和させるかを考え、コントラストをつけて画角を決める作業を無限の可能性の中から自分で選択するのです。
私は望遠レンズを極力使わずに、目の前のシーン全体を受けとめて最高の色と構図で作画することを自然にやっています。さらに言えば、富士山の写真では自然の摂理と自分が感応できた時に最高の作品が生まれます。
<プロフィール>
「ときめきの富士」の写真家 ロッキー田中氏
福井県生まれ。1999年アテネ市世界芸術展大賞、2001年マスターズ大東京展最優秀作家賞、2003年第35回新院展に於いて「天空に舞う」が文部科学大臣賞受賞。「富士山を世界遺産にする国民会議」評議員(2005年~13年)、同223フェローメンバー。著書として「ときめきの富士DVDブック」(評言社)、「誰も見たことのないときめきの富士」(飛鳥新社)他多数。TV出演、新聞、雑誌の取材等多数。東京都品川区に「ときめきの富士アートサロン」、山梨県富士吉田市に「山のアトリエ」を開設。富士山に心を寄せる人のオアシスとなっている。
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