アンコールワットやタプロームなどの遺跡巡りが人気のカンボジア。だが内戦や諸外国に利害に巻き込まれた歴史を持つ同国は民間人の犠牲者は多大な数にのぼり、ポルポト政権下で約200万人が虐殺されたと言われる。1970年代前半の人口は約800万人だったとされており、実に4人のうち1人は殺害された計算になる。その大量虐殺時代の負の遺産のひとつが地雷である。悪魔の兵器と言われる地雷は戦争が終わったあとも人を殺傷するために静かに時を待っている。
今回、一般財団法人地雷撤去キャンペーン(通称CMC、大谷賢二代表)の協力で我々は地雷撤去の現場へ同行した。
地雷撤去を行なっているのはNGO団体カンボジアン・セルフ・ヘルプ・ディマイニング「CSHD」の26名の団員たちだ。このNGOは地雷撤去の第一人者のアキラ氏が2008年6月に設立したもの。アキラ氏自身過去にポルポト派の少年兵として従軍させられ、その後様々な経緯を持つ。1993年、20歳の時、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が国内で平和維持活動を開始。アキラ氏はそれを手伝って初めて地雷撤去活動を行なう。その時「自分はこれまで戦争の中で、数多くの地雷を埋めて大勢の人を傷つけ苦しめてきた。これからはそれに対する償いとして、一生懸けて地雷撤去をやっていこう。この国を平和にするためにこれからの自分の一生を捧げよう」と決心した。(アキラ地雷博物館・日本人応援団HPから抜粋)
地雷撤去の現場は凛とした緊張感が漂っていた。数人の団員がプロテクターを付けており、現場に向かうために我々もプロテクターを装着する。かなり重い。ヘルメットのクリアゴーグルは通常使用するバイクのヘルメットの数倍の厚みがあり爆風対策主体ということがわかる。プロテクターも相当固い。撤去現場では地雷撤去の作業が行われていた。地雷を検知するための金属探知機で入念に検査している。数センチ単位での検索である。この広大な土地ではどれだけ時間がかかるのだろうと想像していると、発見された地雷を見ることが出来た。爆発の可能性がありあまり近寄れない。こんなのがあと500万個あると思うとゾッとする。
もちろん、アキラ地雷博物館にも寄った。撤去された地雷のほん一部約5,000個が展示されており、それだけの数に圧倒される。なぜ地雷が布設されたのか?カンボジアの歴史背景をたどりながら、戦争の愚かさを身をもって体験出来る。この地雷博物館ではボランティア・スタッフの川内肇氏が詳しく説明をしてくれた。川内氏は地雷撤去の支援を行なうために単身同博物館で日本人向けに説明をしてくれている。そして「アキラ地雷博物館・日本人応援団」を設立し、継続的な支援を呼びかけている。
※記事へのご意見はこちら