<グループの総本山、特定医療法人沖縄徳洲会・湘南鎌倉総合病院>
神奈川県鎌倉市岡本に、高級リゾートマンションさながらの威容を誇る大病院が建つ。徳洲会グループの総本山、特定医療法人沖縄徳洲会・湘南鎌倉総合病院である。1988年11月に湘南鎌倉病院として開設、2010年9月、この地に新築移転した。それにともない医療法人社団愛心会・湘南鎌倉総合病院から、特定医療法人沖縄徳洲会・湘南鎌倉総合病院に変更した。
敷地面積は旧病院の2.5倍の1万6,828m2(5,090坪)、延床面積は5万7,948m2(1万7,529坪)。免震構造の地上15階、地下1階建て。病床数は574床。職員数は1,542名。
年々増加する救急、急病患者に対応するため、屋上にヘリポートを備え、手術室、血管カテール室に直行する専用エレベーターがある。最新の放射線治療機器トモセラピーなど高度医療機器を導入。日本医療機能評価機構から認定を受けた先進医療の大病院なのだ。
最上階の15階には、医師・職員合わせて2万7,000人を率いる人物が入院している。徳洲会の創始者で、元自由連合代表、元衆院議員の徳田虎雄氏である。徳田氏は、2002年にALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病を患い、ほとんど体を動かせない。耳は聞こえるが、言葉は発せない。目だけは動く。会話は介護する秘書が文字盤を使うことで行なわれる。
グループの意思決定に関する会議は同じフロアで行われおり、徳田氏は目で文字盤を追って自分の意思を伝える。特捜部は、病院の職員を動員した選挙運動の総指揮官として、徳田虎雄氏に照準を定めていたのである。
<日本最大の医療事業グループ「徳田王国」>
徳田虎雄氏は発想も行動も桁外れ。医療界に地域医療という新風を吹き込んだ風雲児である。離島に病院を建てるためには政治力が必要として政界に進出したが、政治家には向いていなかった。それでも、ただ者ではないことを見せたのが病院経営の手腕だ。事業展開は出身地の九州をはじめ首都圏にも及び、その規模は世界第3位とも言われる。2006年にはブルガリア・ソフィア市に1,016床をもつ巨大病院ソフィア徳田病院を開設している。
苦学して大阪大学医学部を卒業した徳田氏が病院経営に乗り出したのは1973年。「失敗したら自殺して、その保険で返す」と説得して銀行から金を借りて、大阪府松原市で徳田病院(現・松原徳洲会病院)を開設、75年医療法人徳洲会を設立した。鹿児島県徳之島出身の徳田氏の志は、離島・僻地医療を維持・発展させることにあった。
1983年に徳田氏が初めて国政選挙に立候補した奄美群島選挙区である奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島、屋久島の6島に計8カ所の病院、奄美大島、加計呂麻島、徳之島に計5カ所のクリニック・診療所を開設している。同群島内の90%以上の住民は島内で徳洲会の医療機関が利用できるようになった。1980年代の衆院総選挙で保岡興治氏と激しく争った「保徳戦争」で徳田氏を支える強い基盤となった。
徳田氏が初出馬した際、選挙参謀を務めたのが、60年安保闘争当時の全学連委員長、唐牛健太郎氏(故人)だった。
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