カンボジアでは、内戦によって大勢の国民の命が奪われた。1991年に内戦が終結したが、和平成立直前、「東大寺一如庵 愚拙房」の法名を持つ内田弘慈氏は、アンコールワットなどの遺跡に関する出版取材のために同国のシェムリアップを訪れた。
そこで内田氏が目にしたものは、まさに泥水をすすって生きる人々の暮らし。その結果、風土病の悪性下痢にかかり、脱水症状で死んでいく幼い子供たち・・・。内田氏はペンとカメラをスコップに持ち替え、井戸を掘り始めたという。その後、内田氏が掘った井戸は750本を超える。
そして、孤児のために「だるま愛育園」という名の孤児院をつくり園長のソリカ氏と二人三脚で448名の孤児を社会に送り出した。就職先はコックからIT企業と幅広く、なかには大学に進学した子もいる。現在、内田氏は園の運営の第一線から退き、ソリカ氏が園を運営。孤児の育成に心血を注いでいる。
現在の在籍園児は45名。大きくなった子の一部がスタッフとして働いている。食の確保が第一であるために、園の横に4haの田を保有し毎回約10tのコメを収穫するという。
また舞台もあり、小さい子から大きな子まで園児総出で踊りを披露する。踊りが始まると食事が出されるのだが、これが日本風にアレンジされており、とてもおいしい。売店では子供らが制作した小物などを含めた商品が販売されており、売上で生活費を捻出している。
「自転車、制服、靴など1人当たり年間約1,500ドルの費用が必要です」と、ソリカ氏。自立して生活できるように生活基盤の構築が必要という。遠い異国の地で単身井戸を掘り、孤児を拾い上げた内田氏。彼が築いた孤児支援の輪はソリカ氏に受け継がれ、カンボジアの未来に光を与えている。
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