2013年10月15日に告示(同20日に投開票)を迎える水巻町長選挙。町に新風をふき込むことを付託された近藤進也町長の就任から、間もなく4年が経とうとしている。1期目の実績と残された課題を検証してみたい。
<「モノ言う町長」の実績やいかに>
4年前の2009年に行なわれた水巻町長選挙。当選した近藤氏の名前を目にした多くの方が、水巻町民の選択に驚いたのではないだろうか。近藤氏は、幼いころに両親を亡くした天涯孤独の身。若くして内装工事会社を興し、会社を経営しながら高校・大学と夜学に通った異色の経歴を持つ。町議としての実績も通算5期に及び、体験に基づく忌憚の無い言動が「モノ言う町議」として高い人気を博していた。
他方、水巻町といえば、炭鉱で栄えた輝かしい歴史を持つ反面、「ムラの理論」が幅を利かせる地方都市の顔も持つ。前町長の矢野繁敏氏は、町の元助役。それだけならまだしも、町長選における先の町長選挙では、当時の町議会議長が陣頭指揮を執った。本来、緊張関係にあるべき行政府と立法府が慣れ合う構図は、水巻町に限らず日本全国でみられる「地方の実情」だ。だからこそ、そうした「実情」と対極にある「モノ言う町長」の誕生は、驚きをもって迎えられた。「旧弊と停滞からの脱却を望む町民の願いが生んだ選択の賜」、それが近藤氏の当選に与えられた評価であった。
では、4年間で近藤町政は何を残したのか。近藤町長が前の選挙戦で訴えた公約のうち主なものとして、町長給与の30%カット、女性の政治参加の促進、水道料金の北九州市並への引き下げ、12万坪に及ぶ「吉田ぼた山跡地」の活用などが挙げられる。
このうち、財政再建のために自身の身を切る給与カットは、就任後、即座に実施された。加えて、就任早々発覚した職員の横領事件の責任を取る形で更に5%のカットを上乗せ。ほぼ4年間に渡って35%カットを貫いた点は、「隗よりはじめよ」を実践する行為として評価に値する。
また、水道料金の引き下げの公約についても果たされた。幾度となく白紙に戻った北九州市との水道事業の統合を、任期中にまとめ上げたからだ。これにより、水巻市の水道料金は40%~50%程度下がることが見込まれている。
他方で、実現できなかった公約もある。女性の政治進出は道半ば。庁内における女性管理職の登用が大幅に進んだ点への評価は高いものの、男女共同参画の趣旨に照らせば、もう一歩踏み込んだ施策が欲しかった。また、吉田ぼた山跡地では、Jリーグチームの誘致を見据えたサッカー場や少年野球場の建設を訴えたが、小倉の新スタジアム計画が動き出したことで、実現は困難となったというべきだろう。
その他の公約の進捗度合いも勘案すると、1期4年の短い期間での実績としては及第点とも思えるが、水巻町民はどのように考えでいるだろうか。
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