ネットアイビーニュース

NET-IB NEWSネットアイビーニュース

サイト内検索


カテゴリで選ぶ
コンテンツで選ぶ
会社情報

濱口和久「本気の安保論」

最後まで日本を守るために生きたサムライ・朝河貫一
濱口和久「本気の安保論」
2013年9月27日 16:37
拓殖大学客員教授 濱口 和久

 世界から日本を理解してもらうために貢献した「朝河貫一」の名前を、何人の日本人が知っているだろうか――。

<将来が期待された貫一>
 今から半世紀以上前に、日本人で初めて米国の大学教授になったのが、世界的歴史学者である朝河貫一である。貫一は旧二本松藩士朝河正澄の長男として生まれ、幼少の頃から勉学に秀でていたため、「神童」とか「朝河天神」と呼ばれていた。そして福島尋常中学校(現・福島県立安積高校)、東京専門学校(現・早稲田大学)をともに首席で卒業する。

 郡山市にある県立安積高校には、貫一の驚くべき精進にまつわる話が残っている。彼は英語の辞書を毎日2ページずつ暗記し、覚えたページは食べるか破り捨てて、最後に残った表紙を校庭の隅の若桜の根本に埋めたとされ、のちにこれを「朝河ざくら」と呼ぶようになった。また、卒業式で生徒総代として答辞を読む際、貫一は英語でスピーチし、参列者を驚かせる。英語教師T・E・ハリファクスは、その名演説に感心して、「やがて世界はこの人を知るであろう」と語ったと言われている。

<米国留学時代の貫一>
 貫一は、「米国に留学して世界の幅広い知識を学び、日本文化の文化発信に貢献する」という志をたて、明治29(1896)年、ダートマス大学に留学する。このとき、経済的に支援したのが大隈重信、徳富蘇峰、勝海舟、大西祝らの明治の大物たちだった。

 ダートマス大学では同級生たちから「サムライ」と呼ばれ、英語やドイツ語では学部学生の水準をはるかに抜いて、卒業に際しては最優秀者(首席)に授けられる「ファイ・ベータ・カッパ賞」を受賞する。

 明治32(1899)年、イェール大学大学院歴史学科に進学した貫一は、米国で学んだ歴史科学の方法を使って、論文『日本における初期の制度的生活、645年の改革(大化改新)の研究』をまとめ、哲学博士の学位を授与される。その結果、もっとも優れた東洋解釈者として、米国の学会からも評価された。
明治35(1902)年には、ダートマス大学講師となり、「東西交渉史」の講義を担当することになる。こうして歴史学者としてゆるぎない地歩を徐々に固めていくなか、明治37(1904)年には『日露衝突』を刊行し、日露戦争における日本の正義を英米国民に説く。翌年、日本側のオブザーバーとしてポーツマスにおける日露講和会議に出席し、講和条約の締結に貢献した。

 明治39(1906)年、イェール大学図書館および米国議会図書館への日本関係図書の収集のために一時帰国する。翌年、イェール大学に迎えられ、日本外交史と日本文明史を担当し、大学院の日本文化史助教授、さらに歴史学助教授を経て、昭和12(1937)年、日本人として初めて同大学の教授に就任する。その間、『日本の禍機』『入来文書』などの諸論文を発表した。これを中世の英語に翻訳し、英文の解説を加え、日本の封建制度を欧州との比較によって明らかにした『The Documents of Iriki』をイェール大学と英国のオックフォード大学から刊行した。これによって、貫一は歴史学者としての地位を不動のものとする。

<戦争回避に動いた愛国者>
 歴史学に加えて、貫一は国際関係論にも優れていた。世界的視野と日本国民の幸福という観点に立った祖国日本への警鐘は数多く、昭和16(1941)年の日米開戦の直前には、フランクリン・ルーズベルト米国大統領から昭和天皇への親書を送ることで戦争を回避しようと考えた。そして、自らその草案を書くなど、異国の地にあって祖国日本のことを思い続けた真の愛国者でもあった。

 貫一は生涯のほとんどを米国で過ごす。昭和23(1948)年8月11日早朝、バーモント州ウェスト・ワーズボロの山荘で、心臓麻痺のため74歳の生涯を終える。その訃報は、AP電・UPI電を通じて「現代日本がもった最も高名な世界的な歴史学者が逝去した」と伝え、その死を悼み世界の隅々まで打電された。

 さらに36年間奉職したイェール大学では大学葬が行なわれた。大学院副院長のハートレイ・シンプソン教授は、告別式で貫一のことを「終生日本国民と米国国民との善意をつないだ誠実な大使でありました」と語り、「人々は将来にわたって、彼の生涯を感動と尊敬を持って記憶することでありましょう」と称えた。

 まさに朝河貫一は名誉を重んじ、恥じを知る「サムライ」としての生き方を、学問的研究や(発言)行動で世界に示した日本人だったのである。

<プロフィール>
hamaguti_p.jpg濱口 和久 (はまぐち かずひさ)
昭和43年熊本県菊池市生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒業。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、民主党本部幹事長室副部長、栃木市首席政策監などを経て、テイケイ株式会社常務取締役、国際地政学研究所研究員、日本政策研究センター研究員、日本文化チャンネル桜「防人の道 今日の自衛隊」キャスター、拓殖大学客員教授を務める。平成16年3月に竹島に本籍を移す。今年3月31日付でテイケイ株式会社を退職し、日本防災士機構認証研修機関の株式会社防災士研修センター常務取締役に就任した。『思城居(おもしろい)』(東京コラボ)、『祖国を誇りに思う心』(ハーベスト出版)などの著書のほかに、安全保障、領土・領海問題、日本の城郭についての論文多数。5月31日に新刊「だれが日本の領土を守るのか?」(たちばな出版、現在第4版)が発売された。 公式HPはコチラ


※記事へのご意見はこちら

濱口和久「本気の安保論」一覧
濱口和久「本気の安保論」
2013年9月27日 16:37
濱口和久「本気の安保論」
2013年9月25日 07:00
濱口和久「本気の安保論」
2013年9月24日 11:16
濱口和久「本気の安保論」
2013年8月28日 14:37
濱口和久「本気の安保論」
2013年8月27日 13:31
濱口和久「本気の安保論」
2013年8月21日 07:00
濱口和久「本気の安保論」
2013年8月19日 16:18
濱口和久「本気の安保論」
2013年7月25日 07:00
濱口和久「本気の安保論」
2013年7月24日 11:23
濱口和久「本気の安保論」
2013年7月23日 13:00
濱口和久「本気の安保論」
2013年7月23日 07:00
濱口和久「本気の安保論」
2013年6月28日 10:58
濱口和久「本気の安保論」
2013年6月27日 13:46
濱口和久「本気の安保論」
2013年5月30日 10:11
濱口和久「本気の安保論」
2013年5月29日 10:23
濱口和久「本気の安保論」
2013年5月 2日 15:03
濱口和久「本気の安保論」
2013年4月30日 16:00
NET-IB NEWS メールマガジン 登録・解除
純広告用レクタングル

2012年流通特集号
流通メルマガ
純広告VT
純広告VT
純広告VT

IMPACT用レクタングル


MicroAdT用レクタングル