<3カ月後に作っていれば...>
馬淵議員は、11年6月27日に、経産省副大臣を打診されたが、これを辞退し、首相補佐官を退任することとなった。
「今でも、私は、あの時点で、ベントナイトスラリーウォール(ベンナイトを材料とした粘土壁)を築くことがベストの選択だったと思っている」と、強調した。
事故後3カ月の11年6月に、壁を築いていれば、現在検討されている凍土壁を作るより、壁の長さは短くて済んだ。さらには、汚染水問題が、ここまで拡大、深刻化することなく、先手を打って、食い止めることができていた。あの時点で、先手を取らなかったことにより、その後、汚染水問題への対応は後手、後手になっていく。対応の遅れにより、国際的な大問題へと発展してしまった。
<重なったリスクの過小評価>
民主党政権内部に、技術的観点からもリスク評価をできる人材がいながら、なぜ、馬淵議員の案は、実現されることなく、つぶされてしまったのか。
馬淵議員は、「どの政党、どの会社に責任があるとか言っている状況ではない。リスクの過小評価が度重なった結果、今のような状況を招いた。この状況の中で、同じことを繰り返してはならない」と、語気を強めた。
国家として、やるべきことをきちんと実行する国民のための政治であってほしい。2年前に、ベストに近い案が実行されようとしていたというのに、何らかの影響力が及ぼされ、国民の目からは離れたところで、計画案は実行されずに消えた。11年6月14日に行なわれようとしていた記者発表は、仮に1,000億円の遮水壁を作らないにしても、東電が負担するのか、国が負担するのか、それともまだ実行しないのか、東電を破たん処理するべきかなど、まずは議論の場に上げ、さまざまな選択肢について話し合い、国民的に是非を問うため、オープンにされるべきではなかったか。
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