今年創業60周年を迎える業務用家具メーカーの(株)アダル(本社:福岡市博多区、武野重美社長)が4日、福岡市内のホテルにて「創業60周年記念祝賀会」を開催した。会には福岡県内の取引企業および親交の深い経営者ら約450名が参加。関東、関西の取引先をはじめ、海外はヨーロッパからの参加もあり、盛大に執り行なわれた。
冒頭、同社の武野重美社長が挨拶を述べた。「私は20歳の頃、アダルの前身のであるイスヤ商会の創業者の武野六郎に弟子入りしました。昭和34年(1959年)のことでした。しかし2年後、武野が亡くなり、以後、私は後ろを向くことなく前を向いていかなければなりませんでした。『どのようにしたら仕事をもらえるのか?』と。その後、米軍から仕事をいただいていましたが、暇で困って設計の先生に『仕事をください』と頼んだら、『何とかしてやろう』と快諾していただき、我々の仕事が本格的にスタートしました。しかし、当時は社員が2、3名で、逆に仕事が増えすぎて対応できなくなったため、設計の先生に『間に合いません』と謝罪したところ、『君が仕事をくれといったから出したんじゃないか。責任もってやり遂げなさい』と言われ、何とかやり遂げました。出発点からつまづき、そして親方は亡くなるなどいろいろありましたが、皆さまのおかげで60周年を迎えることができました」と創業時の苦労話を語った。
<2度目の挑戦の中国で成功。アジア全土、欧米に販路が広がる>
武野氏はその後、1973年のオイルショックで産業界全体が疲弊し縮小傾向にあるなかで、あえて拡大路線を走った。74年の熊本を皮切りに北九州、など九州全県に出したほか、台湾にも進出した。バブル崩壊後の95年には中国・上海に現地企業との合弁で企業を設立したもののいったん撤退。その後、2001年に独資会社を立ち上げ成功。現在、上海に2工場を持ち、現地従業員170名~180名規模となった。
「我が社は中国に再進出した頃からうまく行っています。成功の鍵は交渉人の存在です。私が現地の政府要人と話しても駄目ですが、私には信頼できる中国人の交渉人・パートナーがいたから成功しました。現在、我々の会社の上海の工場で生産したものがアジア全土に行っています。インド、オーストラリアをはじめ、時にはヨーロッパ、アメリカにも行っています。ここまで来れたのも今日お越しいただいた皆さんにかわいがっていただいたからです。60周年を迎えられて、本当にありがたいと思います」(武野氏)と感謝の意を述べた。
<JR九州の石原会長、西日本シティの磯山副頭取が祝辞>
次に、JR九州の石原進会長が、「高速道路を走っていると赤い巨大なボールのオブジェがあります。これがアダルの本社。真っ赤な太陽のようなシンボルマークは、まるで武野社長のアツいハートのようです。武野社長は人のやらないことをやる。そして中国人の心を掴んでいらっしゃる。これからオリンピック開催を控え、東京では空前の建設ラッシュとなっているようですが、(60周年記念を機に)これからますます成長されることを祈念したい」と祝辞を述べた。
最後に西日本シティ銀行の磯山誠二副頭取が、「昭和43年にヨーロッパ視察旅行に当行の融資によって行かれ、その後の勉強の成果を活かされております。当時、家具カタログは日本にはなく、このヨーロッパ視察旅行の際に見られ、これを基に日本初の家具カタログをつくられたと聞いております。(株)アダルさまは武野社長の気迫、発想力を基に、着実に発展していきました。これからも応援部隊として、しっかりと応援していきたい」と述べた。
※記事へのご意見はこちら