<地元の名士・小原嘉登次氏が作った和多屋別荘>
嬉野温泉を代表する旅館といえば、「和多屋別荘」を中心とした和多屋グループが有名である。高速道路の長崎道の嬉野インターを降り、嬉野温泉街に向かうと、一際高くそびえたつホテルがあるが、それが和多屋別荘だ。屋号の横の丸に十を付けたマークは、かつて江戸時代に薩摩藩(島津家)の御用宿になっていた歴史の名残となっている。また、このマークが付いた旅館はすべて和多屋の関連とも言われ、嬉野温泉内の和楽園、佐賀県武雄温泉の御船山観光ホテル、川上峡温泉の龍登園などには、この家紋のマークが付けられている。
これら一大旅館グループの基礎を作り上げたのは小原嘉登次氏(1906年1月28日生-99年9月22日没)。佐賀県議会議員を44年間務め、そのうち26年間、佐賀県議会議長を務めた、いわゆる県の重鎮であった。嘉登次氏は自身が健在な時に和多屋別荘を三男である健史氏(現、和多屋別荘会長)へ事業継承した。その他、長男の晰氏は佐賀県武雄市の御船山観光ホテル、次男の大治氏は佐賀市の龍登園、四男の嘉文氏は嬉野温泉観光、五男の下田高嘉氏は嬉野市内の和楽園の社長を、それぞれ務めさせた。
県議会の大物でありながら、地場経済界においても多大なる影響を与えた嘉登次氏。小原健史和多屋別荘会長が同ホテルのホームページで嘉登次氏の物語を連載し、本として「気骨の流儀~明治の男・小原嘉登次物語~」などが出版されている。嬉野温泉の歴史がよくわかる資料としても知られている。
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