――「1964年東京五輪」当時の思い出は何かございますか。
<日の丸の付いたまっさらなシャツが支給>
高橋憲行氏 1964年当時は、「敗戦後から立ち上がった日本を世界に見てもらう」という気持ちが国民全員にありました。言わば、全国民が同じ方向に向かって、明るく走ることができていた気がします。実は、個人的に1964年の東京オリンピックにはとても鮮明な思い出があります。
私は、1964年のオリンピック当時は鳥取県の高校生で、自治体選抜の聖火ランナーを務めました。当時は正走者(燃えたトーチを持つ)、副走者(予備トーチを持つ)に伴走者約30人の全員で3,000m近く走りました。そのために、週に数回、数カ月にわたって、練習も行ないました。本当にすごい盛り上がりがありました。高度経済成長の真っ只中、国民の気持ちがすごく高揚していました。聖火ランナーと言うだけで、とても優遇されていた記憶があります。
私は当時バイクで通学していたのですが、あるとき「クラクション(警笛)を鳴らせ」と決められているコーナーで鳴らし忘れ、警官に捕まりました。本来なら、お咎めを受けるところですが、「聖火ランナーで、練習に急いで行く途中です!」と言い訳をした途端、「ご苦労様です」と、なんと直立不動の姿勢になって敬礼をされ、無罪放免になったのです。その当日だけに着るまっさらな日の丸のついたシャツを支給されたときには、心が引き締まり緊張したことを思い出します。
1964年と2020年では、まったく時代背景は違うと思います。しかし、その準備のプロセスは変わりません。「2020年東京五輪」が決定した今、世の中は次の2016年のリオデジャネイロオリンピック頃から大きな盛り上がりを見せ始めると思います。予選大会にも、国民の注目が集まり始めます。
<楽しいイベントであることは間違いない>
開催国のすべての都市が経験するように、東京にもさまざまな混乱が起こってくると思います。開催決定の高揚感はやがて薄れ、予算などの現実な問題に直面し、「何のためにオリンピックを開催するのか」に悩むときも来るかもしれません。
私の事務所は原宿にありますが、すぐ近くに建設予定の「新国立競技場」については、現在予定されているデザインが景観や安全性の観点から問題があり、費用(1,300億円)もかかり過ぎるという批判が起こっています。これからも、全体予算とか、選手村、選手育成などに関しても、さまざまな問題が起こってくると思います。
過度に費用をかけ、不要なことをするのを避けるのは当然です。しかしながら、経済というものは、基本的には、外側に向かって気持ち良くお金を使うことが重要なのです。一般国民が、このオリンピックを世界的なお祭りと考え、大いに消費が進めば、お金の流れが良くなり、善循環し、景気も良くなってくると思います。それは、五輪が楽しいイベントであることは間違いないからです。
1つ言えることは、都内にできる競技場等施設であれば、さまざまなイベントが行なわれ、今でも充分ではないので、採算が合うということです。その後のメンテナンス、利用もよく考え、たとえば、災害の避難所も考慮したうえで設計すればよいと思います。日本人はその点はバランス感覚がとてもあるので、心配はしていません。
<プロフィール>
高橋憲行(たかはし けんこう)
(株)企画塾 ・総合企画研究所 代表取締役
京都工芸繊維大学大学院修了。商品企画、新事業、マーケティングの分野で多数のプロジェクトに関与、並行して官公庁、自治体のプロジェクトを数多く手掛ける。現在のビジネスを進める上で必要不可欠な企画書のスタイルと体系をつくり、広く影響を与えたことから、「企画の達人」とも「企画の仕掛人」とも呼ばれる。京都工芸繊維大学講師、近畿大学講師、各地の自治体顧問を歴任。公的コンサルタントとして、関西文化学術研究都市の一角を占めるハイタッチリサーチパークを構想から実現まで関与。中華民国企画人協会顧問。企画関連の著書は100冊を超える。
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