NET-IBでは、SNSやブログで情報発信を行なっている佐賀県武雄市長・樋渡啓祐氏のブログを紹介している。
今回は『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』(渡邉格著、講談社)の書評について記載している、10月9日午後8時9分のブログを紹介する。
【書評】田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」
どうしてこんなに働かされ続けるのか? なぜ給料が上がらないのか? 自分は何になりたいのか?――人生どん底の著者を田舎に導いたのは、天然菌とマルクスだった。講談社+ミシマ社三島邦弘コラボレーションによる、とても不思議なビジネス書ここに刊行。「この世に存在するものはすべて腐り土に帰る。なのにお金だけは腐らないのはなぜ?」--150年前、カール・マルクスが「資本論」であきらかにした資本主義の病理は、その後なんら改善されないどころかいまや終わりの始まりが。リーマン・ショック以降、世界経済の不全は、ヨーロッパや日本ほか新興国など地球上を覆い尽くした。「この世界のあらたな仕組み」を、岡山駅から2時間以上、蒜山高原の麓の古い街道筋の美しい集落の勝山で、築百年超の古民家に棲む天然酵母と自然栽培の小麦でパンを作るパン職人・渡邉格が実践している。パンを武器に日本の辺境から静かな革命「腐る経済」が始まっている。
【著者・渡邉格(わたなべ いたる)から読者のみなさんに】
まっとうに働いて、はやく一人前になりたい――。回り道して30歳ではじめて社会に出た僕が抱いたのは、ほんのささやかな願いでした。ところが、僕が飛び込んだパンの世界には、多くの矛盾がありました。過酷な長時間労働、添加物を使っているのに「無添加な」パン......。効率や利潤をひたすら追求する資本主義経済のなかで、パン屋で働くパン職人は、経済の矛盾を一身に背負わされていたのです。
僕は妻とふたり、「そうではない」パン屋を営むために、田舎で店を開きました。それから5年半、見えてきたひとつのかたちが、「腐る経済」です。この世でお金だけが「腐らない」。そのお金が、社会と人の暮らしを振り回しています。「職」(労働力)も「食」(商品)も安さばかりが追求され、その結果、2つの「しょく(職・食)」はどんどんおかしくなっています。そんな社会を、僕らは子どもに残したくはない。僕らは、子どもに残したい社会をつくるために、田舎でパンをつくり、そこから見えてきたことをこの本に記しました。いまの働き方に疑問や矛盾を感じている人に、そして、パンを食べるすべての人に、手にとってもらいたい一冊です。
パンクな本。僕は米も好きなんですが、パンにも目が無くて、岡山県勝山の渡邉さんの「タルマーリー」のパン、お取り寄せしていました。他のパンとは全く違う、なんで、ここのパンは、「のどごし」が良く、食べた後、すぐに、すっきりするんだろうか、って、タルマーリーのファンに。
そんなこともあって、この本を読んだら、その理由が分かるのかなって思ったら、別のことが分かることに。しかも、渡邉さんの「定義づけ」が凄まじい。だって、自分のところのパンを、地域通貨と見立て、しかも、パンだから当然腐る。その腐るところに、腐らないお金と対極の価値があるんだ!って喝破する。しかも、そこに菌が神の手として登場する。
四半世紀前になるんですね、大学時代、当然のように、マルクスをとったんですが、そのときに、ベルリンの壁は無くなるわ、ソ連は崩壊するわ、日本ではバブル全開、まあ、マルクスさんにとって受難なときで、当時の同級生は、マルクスをバカにして、どんどん、教室から人が去って行ったのを覚えていますが、僕は、今以上にへそまがりだったんで、教室に残って、「価値」「貨幣」「労働」の意味を岩井克人先生を始め、いろんな先生から教えてもらったんですが、イマイチ、その意味が分からず。だって、先生も僕も現場知らんから。
そして、時が流れること。まさか、このパン屋さんのファンキーな本で、マルクスが伝えたかったことが、はっきり、くっきり分かるとは。渡邉さん、美味しいパンと共にありがとうね。
渡邉さんは、言う。「経営理念は利潤を出さないこと」。お金中心の「腐らない」経済から、発酵を繰り返す「腐る」経済へ。「不思議なパン屋」が起こす、静かな革命。
渡邉さんや奥さんとの不思議な生き方も魅力的だけど、僕はそれよりはるかに、今、日本に一番欠けている「一律的なモノの見方」に対する現場からの強烈なアンチテーゼだと思う。また、これこそ、ライブ感溢れる「市民協働」の在り方。それこそ、パンク。久しぶりにこの手の本で鷲づかみされた本でした。
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