風情を求め台湾に足を運ぶなら、台北から北東部に位置する港町「基隆」をお薦めする。船が交通の中心だった頃、基隆は、人や貨物の往来で栄えた。また、この街は、台湾を代表する映画作品の舞台となっている。
その作品とは、1989年制作の『悲情城市』だ。第2次世界大戦の終結直後、激しく揺れた台湾社会を描いた候孝賢監督の作品である。台湾の戒厳令解除(87年)から間もなくして封切られ、89年のベネチア国際映画祭でグランプリ、90年インディペンデント・スピリット賞で外国映画賞を受賞した。
45年8月15日、基隆。昭和天皇の玉音放送がラジオから流れ、レストランを営む林一家の長男、文雄に息子が生まれる。文雄は4人兄弟。日本軍兵士として出征した次男はルソン島で行方不明。幼い頃の事故で耳が不自由な四男、文清は友人たちとともに新しい台湾の建設を夢見ている。背景は、外部勢力の支配を受け続けてきた台湾の悲劇。45年から49年まで、ある一家の変遷が描かれている。半世紀にもおよぶ日本の統治(95~45)から解放されるもすぐさま、人々は大陸から来た国民党政府の圧政と横暴に苦しむ。
作品は、47年に起きた228事件の実相、49年12月に大陸で敗北した国民党政府が台湾に渡り、台北を臨時首都に定めるシーンも描かれている。台湾人の大規模な抗議行動を、国民党政府が武力で鎮圧した228事件。2万人近い台湾人が殺されたと言われている。
基隆を歩けば、寂れた港町ならではの情緒に浸れる。九州で言えば、門司港レトロのなかに生活感をふんだんに盛り込んだ感じだろうか。肌着に短パンの老人が散歩する姿、徘徊する野良犬などは街の佇まいに輪をかける。台北から日帰りもできるが、ホテルで1泊という選択もある。港にたたずみ、航路で繋がる日本の石垣島に思いを馳せるのも悪くない。
激動のアジア・・・。台湾の歴史も動いている。『悲情城市』は表現の1つであるが、この作品の取り扱いも、時期によって変遷する。台湾独立派の民進党が与党だった頃は、この作品は映画チャンネルなどでも頻繁に放送されていたが、現在は、作品の中で矢面に立つ国民党が与党。放映禁止とまではいかないが、積極的に流されている状況にはない。
都市として発展し、今やアジアの代表都市とも呼べる台北と、かつて隆盛の最中にあった基隆。両都市はバスや電車で多数の便があり、1時間弱で結ばれている。「台湾らしさ」を体感するのに訪ねておきたい街のひとつだ。
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