<山本商事の宇梶部長>
残暑厳しい9月初旬、古くからお付き合いの深い専門商社山本商事の宇梶部長と本社受付でバッタリ出くわした。山本商事は売上の6割が当社との取引で成り立っている社員20名ほどのよくありがちな同族会社だ。宇梶部長は毎日のように当社に通っては、栃木なまりで人気のお笑い芸人並みの訛り言葉で、「最近どう? 良い話しな~い?」と、ウロウロしている。てなわけで、小生なんかよりはるかに社内事情通だ。
「山笠さん、久しぶり。そういえば、うちの社長が今度一杯行こうって言ってたよ」などとだべりながら、近くの喫茶店に。お互い微妙に暇なわけだ(汗)。憎めないキャラの宇梶部長と、しょーもない世間話で盛り上がる。
「最近おたくのエライさん達って皆忙しいよね~。アポ取るにも一苦労だよ。宮本専務にうちの社長と会食のアポ取ろうとしたら、もう年内は空いてませんだって・・・」。
小生は心の中で「ごめんねごめんね~」と思いっきりネタを飛ばしつつ、「いやぁ~、最近は偉くなればなるほど激務でねぇ。無事これ名馬ですよ、ホント・・・(苦笑)。宮本専務なんてバリ体育会系でしょ?」と、小生が新入社員時代、もちろん宇梶部長も山本商事の若手(使いっ走り)として、小生の会社に出入りしていた古き良き時代を噛み締めながら話した。
<某問屋の盛山部長>
そうなのだ、小生が入社したバブル期前夜の時代は、携帯電話ですら影も形もない、色んな意味で牧歌的な時代だった。社内結婚も多かったし、上司にはよく飲みに引き回された(デートより優先順位は高かった)。半ば強制的ではあったにしろ、1つの部門、1つの課(グループ)がそこの長を中心に、善くも悪しくも家族的だったのだ。
その頃、今や絶滅危惧種となりかけている「問屋さん」に夕方頃、部長ら上司と一緒に訪問すると、「乾き物」をつまみに先方の社長以下幹部社員の皆さんと、事務所で一杯なんて宴会が始まっちゃうことなど、日常茶飯事だった。そんな時代であるから、職場の「家族的環境」にさえ順応していれば、高卒から大卒(新卒)、そして定年間際のベテラン社員まで、それぞれ自分なりの「活き場」があったものだ・・・。
課長は、常に部長の夜の予定のチェックにぬかりがなく、部長は部長で担当役員の動静は常に押さえており、昼も夜も自分が関わる時間を確保しようと躍起になっていた。当然ながら、予定さえなければ毎晩お供しなければならないという部長や課長もおり、難儀したものだ。盛山部長は通勤に2時間もかかる遠方に居住。そんなわけで通勤時間を活用し、日経新聞の隅から隅まで、電車の中で読破するので有名であった。直属の部下である山嵐課長は「そんな事も知らんのかね」と毎朝、盛山部長からたっぷりと絞られるのが日課となっていた。また盛山部長は、家が遠い割に毎晩寄り道したがる。それも決まって駅前の豚カツ屋だ。
「シンデレラタイム」は20時30分。「いいですかぁ~...」と毎朝2時間半かけて精読している新聞ネタをちらつかせながら、結局毎回同じ内容の仕事の話とライバルである部長の悪口に終始していた。豚カツ屋で飲んでいるのにもかかわらず、おつまみはポテトサラダとお新香が中心だ。それでも何故か毎回お会計は一人頭5000円だ。小生は内心「ボッタくりやがって~」と思いつつも、店的には豚カツ屋で豚カツも頼まず、せこいおつまみばかり頼む方も頼む方だわな...と妙に納得してしまう。たま~に「山笠クンも腹が減ったろう、今日は特別にメンチカツでも頼みなさい!」「ははっ、部長ありがとうございます」ってな具合だ。当時はこんな「部長」の響き・肩書きに酔いしれてしまう輩も多く見受けられた。
であるから、「さすが部長~」と声も裏返らんばかりに連日連夜、助さん・角さんとなってお付き合いすれば昼間の能力が多少「チョメチョメ」だろうが、なんとか生き延びられた時代でもあったのだ。さて2013年の現在は・・・というと、酔いしれる前に超絶な現実が待ち受けており・・・って感じで、そうそう「酔っぱらってる」暇がないのが実態だ。
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<プロフィール>
山笠太郎(やまがさ たろう)
1960年生まれ。三無主義全盛の中、怠惰な学生生活を5年過ごした後、大手食品メーカーにもぐり込む。社内では、山笠ワールドと言われる独特の営業感で今日に至る。博多山笠は日本一の祭りであると信じて疑わない。
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