NET-IBでは、政治経済学者の植草一秀氏のブログ記事から一部を抜粋して紹介する。今回は、若杉冽著『原発ホワイトアウト』(講談社)を紐解き、現実の裏側の深層を読み取る力を付けなければ、国民は政府が作り上げる「核と共存する平和」という虚像に、いとも簡単に騙されてしまうであろうと警告する10月22日付の記事を紹介する。
若杉冽著『原発ホワイトアウト』(講談社)を全国民が読むべきだ。
現役キャリア官僚のリアル告発ノベルである。小説のスタイルを取っているが、重要なコンテンツは、ほぼノンフィクションである。
私たちの目の前で繰り広げられている原発再稼働に向けての茶番。内部を知り尽くした現役官僚でなければ表現できないディテールがふんだんに盛り込まれている。「特定秘密保護法案」が国会に上程され、与党多数の状況下で成立させられる。
「国民の知る権利の保障に資する報道または取材の自由に十分配慮する」ことが明記され、また、報道関係者の取材行為について、「専ら公益を図る目的を有し、かつ、法令違反または不当な方法によるものと認められない限りは、これを正当な業務による行為とする」との規定が加えられた。これをもって、「知る権利」を守ったと説明されるが、とんでもない話だ。
「配慮」に強い意味はない。「法令違反」は客観基準だが、「不当な方法」は主観的な判断である。つまり、知る権利を保障する条文になっていないのだ。
「配慮する」ことは「尊重する」ことと違う。「尊重」は結果を縛るものだが、「配慮」は結果を縛るものではない。「不当な方法」には明確な定義がない。報道を規制するために、「不当な方法」のエリアを自由自在に変えることができてしまう。
原発の話に戻る。原発は電源を失うとメルトダウンする。原子炉がメルトダウンすると、五重の防護壁は何の意味も持たない。核燃料の熱が原子炉を溶かしてしまうからだ。
著者は語る。日本の原発には、国民に知らされていない致命的な欠陥がある。原発の電源を支える送電線が破壊されれば、原発が電源を失うリスクは、多分に存在するのである。
巻頭に記される言葉。
「悲劇は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」(カール・マルクス)
福島の悲劇がいまなお深刻に持続するなかで、原発を再稼働させようというのは、狂気の沙汰である。しかし、現実は確実にこの方向に進んでいる。そのストーリーのディテールのほぼすべてが鮮烈に記述されている。
著書のなかで紹介される内部告発者は、国家公務員法違反およびその教唆で逮捕、起訴されてしまう。しかし、本書の著者は、本書を通じて内部告発している。いずれ実名で登場してくるだろう。そのときは、霞が関を離れるときになるだろう。霞が関から永田町に自発的な転勤を行う可能性があると思う。
新潟県の泉田知事が危うい。東電の柏崎・刈羽原発を再稼働するには、泉田知事を処理しなければならない。このプロジェクトが着々と進められている。
国民には原発を再稼働しないと電力料金が大幅に上がるとの刷り込みが行われている。
この刷り込みを担当するのがテレビのワイドショーのコメンテーターである。今日のコメンテーターの意見が、明日の私の意見になる。コメンテーターは、局が用意した台本にあるセリフを語るだけだ。
落選議員の収入確保の世話。
選挙後の政治家発言内容のレクチャー。
検察への指揮権発動。
市民デモを潰す公安警察の陰湿な手口。
再稼働の工程表。
これらのすべてがリアルに詳細に示される。迫真のリアルドキュメントノベルだ。原発再稼働に使われるキャッチコピーはすでに出来上がっている。「世界最高水準の規制基準に適合した安全なものは動かす」である。福島原発事故の原因すら究明されていないのに、「政界最高水準の規制基準」、「安全なものは動かす」とは笑わせてくれる。
原発は事故発生時の処理コストを踏まえれば、圧倒的に高価な発電方式である。こんなことは分かり切っている。それを、原発事故費用を除き、巨大な設備費用を除き、存在する設備の元での投入燃料と産出電力の関係だけで原発の経済性を考察する。小学生でも、こんな基礎的な間違いはしないだろう。
しかし、こうしたことを理屈で説明するよりも、現実にいま進行している舞台の裏側を精密に描写する方が、はるかに効果的であるかも知れない。検察と政権の結託による国策捜査の実態について、本書が引用しているのは、平野貞夫氏の著書『小沢一郎完全無罪-「特高検察」が犯した7つの大罪』である。
村上正邦、三井環、鈴木宗男、佐藤優、田中眞紀子、村岡兼造、そして、佐藤栄佐久、の各氏が検察の標的にされた。もちろん、私も検察の標的にされた。裏側にあるのは、三井環氏が告発した検察裏金犯罪を検察が隠蔽するために、小泉政権に借りを作り、この借りを返すために、国策捜査が大規模に実行されていったのである。
デモを潰す手口の記述もリアルである。公安警察はデモ参加者の顔を写真、映像で記録し、デモ参加者を尾行し、個人を特定する。自宅周辺へは警察が聞き込みを行う。尾行されたデモ参加者は、微罪で逮捕される。こうした「工作」によって、デモは潰されてゆくのである。日本原電への規制庁機密漏えい事案も、リアルに描かれている。
日本は民主主義の国ではない。既得権益独裁の国家である。米国と官僚と大資本が日本政治を支配している。大資本が政治を支配する、根幹の条件が、企業献金である。
八幡製鉄献金事件で、最高裁が企業献金を合法化してから、企業献金が大手を振って歩き続けてきた。この企業献金システムが最大の危機に直面したのが2009年である。2009年3月、民主党代表の小沢一郎氏は、企業団体献金全面禁止の方針を明示した。この法改正が成立していれば、大資本が政治を支配する構図は、大きく揺らいだはずである。逆に言えば、大資本は企業団体献金死守のためにも、小沢-鳩山民主党をせん滅しなければならなかったのだ。そして、官僚支配の核心は天下りである。現行の天下り規制は完全な「ザル」で、役所の「あっせん」によらないことにすれば、いくらでも実質上の天下りができる制度になっている。
米国は日本の原発稼働維持を強制している。米国資本は、まだ、大量に原発で利益を上げねばならないのだ。ここで、カモの日本に逃げられては、計算が狂うのだ。しかし、日本は米国の命令に従う国である。日本は米国の指令の下で、脱原発を拒絶しているのだ。日本の実相、米官業と政の癒着の構造が具体的なイメージで伝わる著作である。
現実のニュース報道に接する際、この本を読む前と読んだ後では、ニュースの受け止め方が大きく変わることだろう。現実の裏側の実相=真相=深層を知っておかなければ、市民はいつも政府に騙されてしまう。
そして、私たちは知っておかなければならない。
原発の危険性を。
原発は電源を喪失すると暴走して、過酷な事故を引き起こすのだ。
著者は明言する。
原発は必ずまた大爆発する。
福島の悲劇を経た日本が福島の悲劇を再現するのは、ほとんど喜劇である。
誰も笑えない喜劇なのだ。
※続きは、メルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』(有料)」第698号 「原発はまた、必ず爆発する」にて。
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