<ラ・フォル・ジュルネ"鳥栖">
もともと鳥栖市では「フッペル鳥栖ピアノコンクール」という音楽イベントが1995年から開催されており、今年で19回目を数えています。このコンクール開催の経緯を同コンクールのウェブサイトから引用すると、「第二次世界大戦の終結間近の1945(昭和20)年夏、2人の日本兵が鳥栖小学校を訪れ、同校にあったこのピアノで『月光』を奏でました。
2人は特攻隊員で、この世の名残りに弾いたと、教員だった上野歌子さん(故人)が戦後ながく経って明かしました。
このコンクールは、この悲話に込められた平和への願いを子どもたちに伝え、音楽による平和文化創造を願って実施するものです」ということです。
当時新聞紙上で話題になったもので、このドイツ・フッペル社製の古いピアノが現在も残っており、鳥栖市の文化施設「サンメッセ鳥栖」に展示されています。また、この話を素材にした映画「月光の夏」が1993年につくられています。
これを契機にして、「フッペル鳥栖ピアノコンクール」を開催しているわけですが、今では飯塚市の「飯塚新人音楽コンクール」とともに地方都市における重要な音楽イベントとなっています。ちなみに、飯塚市の方は32回(年)を重ねています。
鳥栖市では、このようなベースがあったために私は、てっきりこの音楽祭の運営に関わっている人からラ・フォル・ジュルネを鳥栖でも、という声が上がったのだと思っていました。
そこで、この辺のことを確認しようと鳥栖市教育委員会事務局文化芸術課に取材に行きました。まず驚いたことはラ・フォル・ジュルネの発案はトップダウンであったことです。
鳥栖市は、それまで工場誘致や物流基地建設でまちづくりを推進してきましたが、よく企業誘致は進むが何故か人口は増えないまち、と言われておりました。橋本康志鳥栖市長は、現在2期目、57歳。趣味に音楽鑑賞とあります。
この橋本市長が、それまで造船業が盛んであったが造船の落ち込みを取り返すべく音楽でまちづくりを成功させ、フランスで一番元気の良いまちと言われるほどになったナント市に着目し、2010年2月に私費でナント市のラ・フォル・ジュルネを視察に行きます。その"熱狂する"音楽祭の様子に感動した橋本市長は、何かの伝手を頼って前述したラ・フォル・ジュルネの創設者であるルネ・マルタン氏と会って、日本の九州の小さな都市・鳥栖市でも開催したいと申し出たのでしょう。この背景には、11年3月に開業した九州新幹線(全線開業)、しかも新鳥栖駅開業という記念すべき大イベントに花を添えるという意味合いも大きかったようです。
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和歌山大学産学連携・研究支援センター客員教授、観光学部フェロー
西日本工業大学デザイン学部非常勤講師
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