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特別取材

物流の歴史からひも解く福岡経済(前)~大高建設(株)・大木代表
特別取材
2013年10月24日 15:47

大高建設(株) 代表取締役会長 大木 孝朋 氏

 『物流建設のオオタカ』の言葉が表すように、物流建設のエキスパートである大高建設(株)。同社は、現会長の大木孝朋氏が、同社の前身である岡崎工業福岡支店時代から元社長の高崎彰一氏とともに築いてきた卓越した企画力と鉄骨建築の技術力で、業界では高く評価されてきた。1969年8月から東区の多の津で『福岡流通センター(FDC)の建設が本格化したが、その当時、福岡地区の街と経済は発展の真っ最中であった。その発展の中核を担った物流業界の歴史を見つめてきた大木会長に、当時の歴史を紐解きながら、150万都市・福岡が今後さらに発展するための提言を語っていただいた。

(聞き手:弊社代表・児玉 直)

<福岡の運輸・物流を支える>
 ──1960~75(昭和35~50)年にかけて、福岡地区の物流の変革期であった当時のことをお聞かせください。

 大木孝朋氏(以下、大木) 私が岡崎工業時代に福岡担当になってから、今年で50年になります。福岡における運輸・物流事業の中核団体である「福岡県運輸事業協同組合連合会」(福岡市博多区)の設立が1963(昭和38)年7月ですから、同じく50周年を迎えます。

 連合会の設立とともに、歴代の理事長の下に出入りすることとなりました。連合会との出会いの歴史が、私の軌跡でもあるのです。いわゆる物流建設の最初の取り組みでした。すべては、同連合会とのスタートです。当時から同連合会は、福岡の物流業界の発展のために、さまざまな挑戦を試みておられました。同連合会は、全国の運輸関連の組合においては、先駆者としてトップクラスでした。当時は、全国から見学や研修が相次いで来ていたのを覚えています。

 1973年の第一次オイルショックの影響により、75年に岡崎工業福岡支店が閉鎖。同年3月に同僚とともに大高建設を設立し、引き続き物流業界とともに歩んできました。

ooki.jpg そして地場のトップクラス、そして全国にネットワークを有する物流業界の経営者の方々との交流が続いてきました。同連合会事務局は、現在の千鳥橋付近にありました。67年に、新連合会ビル(運輸共同ビル)が那の津大橋のそばの対馬小路へ新築することとなり、その設計施工を岡崎工業として担当させていただきました。3階建てのブルーのタイルで、壁面に大宰府の著名な彫刻家「富永朝堂」先生作のレリーフを付けた、ユニークな建築でした。

 それから32年を経て、現在の13階建ての「クレセントビル」に発展することになりました。再び今度は大高建設として関わる機会をいただき、建築技術者としての"冥利"につきます。

 話は前後しますが、63(昭和38)年頃に、当時の建設省の諮問委員会が有識者にて発足し、私はそのオブザーバーとして参加していました。「福岡の流通センターの建設を東地区にするのか西地区にするのか」ということが、九州縦貫道路のルートと相まって諮問委員会で討議されていましたが、その結果、東地区に流通センターの建設が決まり、現在の場所に65(昭和40)年頃から用地取得が始まりました。糟屋町側は岡崎工業が一部用地を取得し、後に流通団地の一角として機能することとなります。

 ──流通センターの建設が決定し、福岡・博多の物流が発展、活性化されるまで10~15年の時間を要し、進化していったのですね。しかし、その後バブルの崩壊で、物流業界も下降線をたどっていきました。

 大木 流通センターは1970~77年頃までにほぼ完成し、卸団地、運輸団地、倉庫団地、共用団地(銀行・展示場・売店等)が機能を発揮し、稼動を始めました。
 その流れは、73(昭和48)年に箱崎ふ頭の埋め立てが完成して、食品加工団地や大型倉庫、大規模流通センターが整備され、穀物や青果などの食品、木材、自動車を扱う博多港最大の流通の拠点に発展しました。また、流通センターも団地の東側用地を拡大開発し、東卸団地として機能拡大が図られました。
 75(昭和50)年からバブル崩壊の94(平成6)年頃までが、流通センターの最盛期でありました。しかし、バブル崩壊後の流通合理化の波が少しずつ浸透していきました。

 そして、影響を受けたのが、とくに卸団地の各社でした。高度成長期には、卸売問屋は重要な役割を果たし、経済成長に大きく貢献したのです。流通センターが完成する前は、博多の冷泉町、店屋町、川端町が流通の要所でありました。その機能が、多の津へ移管されたのです。安値競争の時代が「問屋」にとって試練の時代となったのです。二次問屋、三次問屋まであった我が国の古来の商慣習が、一時的に崩れた時期でありました。流通は、いわゆるメーカー・卸売り・小売りの三者が共存・共栄するビジネスモデルだったのが、安値競争によって弱肉強食のモデルとなっていったように思えます。
 同じ頃、その新たな流通の動きに影響を受け、物流業界が下り坂となりました。

 福岡地区の新たな物流の時代は、70(昭和46)年の多の津の造成から始まって、77(昭和52)年頃に完成し、最盛期は約20年間くらいであったように思います。短い期間でした。当初は、最低でも50年間は機能し続けるだろうと予想しておりましたが...。
 その流れのなかにあって、福岡地域の運輸・物流業の先頭に立ち、方向性を統一させて、活性化に寄与されたのが「福岡流通センター連合会」を中心とした「卸団地協同組合」「倉庫団地協同組合」「運輸団地協同組合」です。とくに福岡地区の運輸業全般の発展に貢献してこられた「福岡県運輸事業協同組合連合会」の功績は、大きいと思ってます。

(つづく)
【文・構成:河原 清明】

| (中) ≫

<COMPANY INFORMATION>
代 表:大木 孝朋(会長)
     大木 孝一郎(社長)
所在地:福岡市博多区上牟田1-29-6
設 立:1975年3月
資本金:9,500万円
業 種:総合建設業
URL:http://www.o-taka.com/


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