日本のプロ野球チームに在籍後、台湾、メキシコ、韓国などでプレーを続けている小林亮寛投手のトークイベントが12日、小林投手の出身地でもある福岡市で開催され、100人近い聴衆が訪れた。
日本の千葉ロッテ在籍後、日本の独立リーグなどでプレーした小林投手、日本では二軍在籍時にも十分な登板の機会に恵まれなかった。「アメリカは、様々な国から来ているため、意外に英語を話せない選手が多い。『野球』そのものがランゲージだった。野球を通じて相手にコミュニケーションを取ることができ、気持ちも伝わった。気持ちが伝わると、向こうから『日本について教えてくれ』というコミュニケーションを取ってくるようになる」とアメリカ、カナダ、メキシコ時代を振り返った。
また、台湾、韓国ではチームの主力投手として活躍。 「台湾でチャンスを与えられ、個人のことからチーム全体のことを考えられた。台湾では、初めての先発ローテーションで、『コンディションを整え、役割を果たす』ということしか考えてなかった。台湾シリーズでも登板できたし、中込伸コーチの指導もあって、野球をすごく学んだ。相手バッターを観察すること、データの活かし方なども勉強し成長できた」と話した。
台湾・兄弟エレファンツの2年間で一躍注目を集めた小林投手。2008年、台湾1年目は、10勝6敗、防御率2.66の好成績で台湾プロ野球のゴールデングラブ賞を獲得。絶妙なコントロールと、打者心理の裏をかく配球、キレのあるボールで勝ち星を積み上げ、台湾の地で「伝説的助っ人」となった。「『これで失敗したら終わり』というトーナメント戦の気持ちで登板していた。アメリカに行ったのはメジャーリーグを目指したから、台湾に行った時は縁だった」
なかでも台湾チャンピオンを決める「台湾シリーズ」は印象深かったと言う。「最終戦、あと1勝すれば『東京ドームのアジアシリーズ』で投げることができていた。敗れて残念だったが、大きな経験をした」と振り返る。09年に9勝を挙げた小林投手だが、この年を最後に、エレファンツを退団。翌年からはメキシコ、昨年からは韓国でプレーしている。
何度も味わった「戦力外通告」。日本人はマイナスととらえがちだが、小林投手は、むしろ違った考え方を持つ。「リリース(戦力外通告)はチームの事情によって起きるもの。自分を否定されているわけではない。むしろ『チャンス』ととらえてきた。チャンスを貰ったのだから、それをどうするかは自分次第、諦めるも活かすも自分次第」と話す。
韓国へは独立リーグの新球団ができるというタイミングで招聘された。「韓国野球、打線のパワーは日本より上で、外国人選手並みの打線。韓国に来る外国人選手はすべてピッチャー。外国人に頼らなくても、イデホ選手やイスンヨプ選手に代表されるように韓国人選手はパワーがすごい。むしろ、外国人には『強力打線を抑えきれる』ピッチャーを求めている」と韓国野球事情を語った。「毎試合、7回~9回投げるをロングリリーフを任されていた。最初は球数などで戸惑いもあったが、次第に慣れてきた。球数を投げなくても肩ができるように調整できるようになった」
小林投手の言葉からにじみ出る、前向きさ、冷静な分析力、野球に対する情熱。トークイベントに訪れた聴衆からは大きな拍手と、小林投手に対する激励の言葉が贈られた。
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