<顧客に全力で尽くす>
──大木会長が歩まれた岡崎工業の時代から大高建設の設立によって、物流建設と言う分野のスペシャリストになられました。当時から先見の明をお持ちだったのですね。
大木孝朋氏(以下、大木) ありがとうございます。しかしバブルの崩壊、デフレの平成、公共工事の減少など、創業以来38年間の激変は予測すらできるはずもありません。
当時の私は、30代でありました。今の時代も、会社の経営において人材面から見ると、30代のメンバーがその企業の中核を担っていくべきであろうかと思います。私自身、30代のときの仕事を思い出すと"よく学びよく働き"を「生きがい」にしていた時代背景だったと思います。
その30代の仕事の経験が、50~60代になったときに大きな財産となります。30代の発想力と実行力は、企業の力の源です。30代のビジネスの経験が、とても大切であるということも言えます。斬新で、思い切った行動をどんどん経験していただきたいですね。
──そのようななかで、大木会長は『人に尽くす』ことを全力で実行されておりました。
大木 私は、残念ながら生来下戸でした。そのため営業活動を始め、会合や酒席のときは、20代では司会・進行係を、30~40代では幹事・世話役を率先してやるように心がけてきました。「酒は飲めないが、大木は会を立派に仕切っている」という評価を得たいと努力したものです。いつの時代でも、仕事の半分は段取りしだいです。段取りとお世話に徹することで、宴席も参加させていただきました。
現在、当社の営業職について「営業の基本姿勢には、学校教育にたとえると義務教育課程があり、初等科・中等科を履修して営業職のスタートだと思う」と話します。
初等科過程では、対するお客さまから、1時間程度の雑談をしてもらえるようになること。中等科過程は、お客さまから雑用を仰せつかるようになること、...それらを達成できれば、営業職の基本ができるよと言います。つまり、お客さまとの信頼のベースをつくることの大切さを教えています。そこから仕事の話を誠意を持ってすることで、決して遅くはないと思います。
もちろん、仕事に関する情報収集や勉強を重ね、プロフェッショナルを目指すことは言うまでもないことです。
──本日はありがとうございます。福岡の建設業の重鎮として、福岡の発展のためにますますのご活躍を心より願っております。
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<COMPANY INFORMATION>
代 表:大木 孝朋(会長)
大木 孝一郎(社長)
所在地:福岡市博多区上牟田1-29-6
設 立:1975年3月
資本金:9,500万円
業 種:総合建設業
URL:http://www.o-taka.com/
【取材後記】
物流建設のパイオニアである大木孝朋会長。福岡の物流と流通の盛衰を間近で見て来られた歴史の当事者としての言葉や提言は、含蓄がある。そしてその言葉や提言からは、福岡流通センターへの熱い想いが伝わってきた。
『物流建設のオオタカ』のブランドをつくり上げた大木会長の卓越した目利きは、設計の道からスタートし、型や枠にとらわれない発想力や着眼力によって培われ、また、若い時代にお客さまへ尽くすことを徹底したなかで養われた力であることがわかった。御年80歳になられた今も、その姿勢は変わらず、柔軟性に富んだ発想を有しながら、一歩引いたところで同社経営と業界を見守り続けている。
大木会長には、ぜひとも流通センターの再構築を実現させていただきたいと切に願う。もし実現すれば、今後の福岡地区の経済の発展に大きく貢献するものであり、流通センターを知り尽くしている大木会長であればなせることだと信じている。大木会長の英知と経験が、福岡地区の発展には不可欠である。
80歳という高齢であるが、その年齢を感じさせないバイタリティと行動力が大木会長にはある。大木会長の仕事への情熱と真摯な姿勢は、経営者だけでなく、将来を担う若手の手本となる。大木会長の哲学と理念を、次世代へ伝承されることを期待する。今後の同社と大木会長の活動に、注目していきたい。
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