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濱口和久「本気の安保論」

政治にも戦術的判断ができる参謀(ブレーン)が必要(後)~日本海海戦と天才戦術家・秋山眞之
濱口和久「本気の安保論」
2013年10月30日 07:00
拓殖大学客員教授 濱口 和久

<文学的センスも持っていた秋山眞之>
 秋山は、名文家としても知られており、「秋山文学」と称せられるほどの文章家でもあった。日本海海戦出撃の際の報告電報の一節である『本日天気晴朗ナレドモ浪高シ』は、「本日天気晴朗ノ為、我ガ連合艦隊ハ敵艦隊撃滅ニ向ケ出撃可能。ナレドモ浪高ク旧式小型艦艇及ビ水雷艇ハ出撃不可ノ為、主力艦ノミデ出撃ス」という意味を、漢字を含めて十三文字、ひらがなのみでも僅か二十文字という驚異的な短さで説明しているため、今でも短い文章で多くのことを的確に伝えた名文として高く評価されている。Z旗の信号文『皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ』も秋山が作成したものだ。

 また、日本海海戦に勝利した東郷艦隊の解散式における、東郷平八郎の訓示『連合艦隊解散の訓示』も秋山が作成したものである。この文章に感動した米国大統領セオドア・ルーズベルト(当時)は、大統領達号に異例の掲載を命令し、全文英訳させて、米国海軍に頒布し、コピーを英国国王エドワード七世に送り、一読を薦めている。

<「お国のため」に最後まで生きた秋山眞之>
 日露戦争の勝利に大きく貢献した秋山は、その後、秋津洲、音羽、橋立、出雲、伊吹の艦長などを歴任し、大正6(1917)年、海軍中将に昇格したが、翌年2月4日、小田原の知人宅で盲腸炎から腹膜炎を併発し49歳の生涯を閉じた。

 兄好古は、眞之が死んだ4カ月後の6月15日に開かれた追悼会の席上、次のように述べている。
 「弟眞之には、兄として誇るべきものは何もありません。が、しかし、ただひとつ、わたくしから皆様に申し上げておきたいのは、眞之はたとえ秒分の片時でも、『お国のため』という観念を捨てなかった、四六時中この観念を頭からはなさなかったということです。このことだけははっきりと、兄としていい得ることです」と。

 現在、故郷の愛媛県松山市にある秋山眞之像には東郷平八郎の揮毫で「智謀如湧」(ちぼうわくがごとし)と4文字で書かれており、彼の天才的戦術家ぶりを今も伝えている。

(了)

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<プロフィール>
hamaguti_p.jpg濱口 和久 (はまぐち かずひさ)
昭和43年熊本県菊池市生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒業。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、民主党本部幹事長室副部長、栃木市首席政策監などを経て、テイケイ株式会社常務取締役、国際地政学研究所研究員、日本政策研究センター研究員、日本文化チャンネル桜「防人の道 今日の自衛隊」キャスター、拓殖大学客員教授を務める。平成16年3月に竹島に本籍を移す。今年3月31日付でテイケイ株式会社を退職し、日本防災士機構認証研修機関の株式会社防災士研修センター常務取締役に就任した。『思城居(おもしろい)』(東京コラボ)、『祖国を誇りに思う心』(ハーベスト出版)などの著書のほかに、安全保障、領土・領海問題、日本の城郭についての論文多数。5月31日に新刊「だれが日本の領土を守るのか?」(たちばな出版、現在第4版)が発売された。 公式HPはコチラ


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