福島大学に勤務している荒木田岳准教授。自身も被災者で、2人の子どもは、新潟に避難させ、離れて暮らしている。特に子どもたちにとって、線量の高い地域に住むことで、健康被害は出ないとしても、被ばくによって多大な精神的なストレスを受けることがある。
政府は、福島への帰還を促進しているが、荒木田准教授は、「これからでも避難したいと思っている人は多く、被ばくを避ける権利は誰にでもある」と訴えている。被災地から声を上げる荒木田准教授に話を聞いた。
――脱被ばくを訴えている理由をお聞かせ下さい。
荒木田岳准教授(以下、荒木田) 脱原発よりも、まず、脱被ばくだと思っています。つまり、脱被ばくを突き詰めていけば、脱原発に至ることができるはずなのです。私は、まず福島に住んでいる人たち、とくに子どもたちの被ばくを減らす必要があると思っています。そのためには、福島に住んでいる人が声を上げなければならない。地元では「風評被害」を訴える向きが多いのですが、これでは実際の被害は存在せず、救済は必要ないという主張になってしまいます。本当に風評ならいいのですが、現地ではさまざまな体調の異変などもすでに報告されています。
――事故発生半年後ぐらいの時期には、除染作業に対する反発もあったとお聞きしていますが・・・。
荒木田 2011年の5月から、京都精華大学、同志社大学、大阪大学の先生らとともに、線量計を持って、除染作業をしていました。自分は、被ばくするのを怖いと思っているので、怖々と除染作業をしていました。当時は、「除染しなければならないほど福島が汚染されているという風評被害につながるから、除染作業なんかするな」と言われている時期でした。
11年の6月ごろ、大学の公用車を借りて除染作業に参加していましたが、その車がたまたまテレビに映って、大学の関係者から「市民の不安をあおることになるから、除染作業に参加するのはやめろ」と、言われたりしました。あのころ、行政や国が、今ぐらい積極的に除染に取り組んでいたら、少しは事態も違ったのではないでしょうか。まず調査し、その情報を共有し、現実を直視した上で対応するということが基本だったはずですが、線量が下がるまで待っていたようにしか思えないんです。だから、危機的だった時期のデータが少なく、リスク評価も自ずと甘くなるわけです。
――原発事故による汚染水問題の深刻化と、福島の復興の遅れについて、原因の共通点として挙げられるのが、「初動段階のミス」と、「リスクの過小評価」ですね。
荒木田 事故が起こって早い段階で、福島は切り捨てられるという実感を持った。(民主党政権時代の)政府も福島に対して解決への気概も具体的方法も持っていなかったようだし、初動の段階で、学者や政治家は、「チェルノブイリと違って福島は大丈夫だ」などと言っていた。あの段階での事故対応にミスがあったと思う。とくに避けられた住民被ばくを、避けさせなかった、という点が悔しいのです。
今後、福島の被ばく問題をどのように解決していくか議論するにあたって、リスク、被害が過小評価されてはいけないと思います。過去の経験に学べば、従来の福島事故対応のリスク評価は桁が違うくらいに甘いのではないでしょうか。そのことは、後でわかっても遡っては対応できないんです。
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<プロフィール>
荒木田岳(あらきだ たける)
1969年、石川県生まれ。一橋大学社会学部助手を経て、2000年より福島大学行政政策学類准教授。専門は、地方制度史、地方行政。11年の福島第一原発事故後、除染作業などに携わり、原子力市民委員会の委員を務める。
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