<御縁大切・無私無偏>
1990年9月にバブルが弾けてマンション業の先発隊の大半は行き詰った。その過程で新たな新興勢力が台頭した。その一番手が作州商事であることは、自他ともに認められていた。ピーク時、200億円の売上を突破したことで若手経営者の間では「作州に続け!!」が合言葉になった。それだけオーナーであった城戸辰徳氏のリーダーシップは卓越していた。ところが2006年初めに城戸氏が脱税で逮捕され、さらにその2年10カ月後の08年11月に故人となった。同社にとって風雲急を告げる事態に再生の大役を背負ったのが樺島敏幸氏である。06年2月に代表取締役社長に就任し、窮地から作州商事を救えたのは同氏の人生哲学『御縁大事・私心皆無』があったからだ。
<傑物の裏では非道理が闊歩する組織>
城戸氏の傑物さは誰しもが認めるところだ。だが逆に常識遺脱した奇行も顕著であった。脱税で逮捕される過程で妥協すれば、身柄を拘束され被告の身になることもなかったと思われる。やはり「自分は並みの人間ではない」という過信を抱き過ぎていた。なぜ、「俺は凡人でない」という信念を持てておれたのか。同氏は若かりし頃、難病を患った。この最悪の事態から生還できたのは新興宗教に遭遇したからである(本人はこの体験で不動の信念を確立した。一部では「宗教の範疇ではない」という指摘もある)。
「俺は神の子」とまで増長したとは思わないが、「課税当局と争っても負けない」という自信があったのであろう。この新興宗教へ、社員や取引業者までも強引に勧誘していた。あとで触れるが、樺島氏が入社した当時の「社員の平均勤続年数が1.5年しかない」の言葉が端的に当時の社の状況を物語っている。新社員たちは当時の異様な社風を感知し浮足立っていたことであろう。そのような常識的な感覚の持ち主だけならまだ救いようがあった。
城戸氏に表面では忠誠心面する幹部社員たちは始末が悪かった。ある既存宗教の要職にあったはず人物は城戸教の旗振り役をこなして城戸氏の信任を得ていた。その立場を活かして結構な良いことをしたようだ。城戸氏と決別した別の幹部は独立したが、自己破産を申請させて会社を倒産させた。この男は悪巧みにかけては天下一品。関係者は「かなりの金を霞み取りしていた」と証言している。
見方によれば、城戸氏もマネジメント面では甘いところがあったと言える。一見、柔軟に立ち振る舞う仕草をしながらも城戸氏の脇の甘さを突く巧妙な幹部たちの存在もあったのである。だからこそ2006年初頭に新社長に就任した樺島氏の緊要の役割はオーナーが脱税で逮捕された信用回復だけではなかった。社内の綱紀粛正の着手も求められていたのである。内憂外患と言葉で語るのは容易だ。変革断行する身には堪える。どうして樺島社長はこの難業を引き受けたのであろうか。同氏が真の器量人であったからだ。
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