<業界からも総スカン>
前回記事で触れたように、作州商事の周囲は内憂外患であった。さらに業界では目の敵にされていた。城戸氏が脱税容疑で逮捕された。危機突破の為に樺島新社長体制が確立された。
そこで樺島社長は、一度脱退した九州住宅産業協会(九住協)に復帰の手続きを申請した。当時の九住協の理事長・ユニカの緒方社長から相談があった。「樺島新社長が誕生したのだから再加入させてよいと思っているのだが、どうも雲行きが怪しいのだ」と、独り言のように呟き首を捻るのである。
「緒方理事長、再加入を認めるのは道理ですよ。しかし、現実は認められない結果になります」と回答した。緒方理事長は、「さすがコダマさん!!よーくわかっているな。理事たちが前向きの返事を渋るのだ」と語った。
真相は次の通りだ。
城戸作州商事はマンション販売を急増させた。自社販売では限界がある。数多くの販売代理会社を活用した。そして最終決済の際に手数料の払いを残したケースが目立った。その販売代理をとおして支払いのトラブルに巻き込まれた会社の社長たちが、九住協の理事の中に複数いた。
彼らにしてみれば本音のところでは城戸オーナーの逮捕は『ザマ―見ろ!!』との思いを抱いている。実害のなかった理事のメンバーたちも経緯を充分に理解しているから復帰賛成の立場を取らない。慎重な動きになる。これらの過去の憎しみは樺島新社長の預かり知らないことばかりだ。逆恨みの被害者である。まさしく業界内では四面楚歌の状態だ。
樺島氏はこのような絶体絶命の作州商事再生の難業を引き受けたのである
<道理を貫く>
作州商事に再就職するまで、樺島新社長は城戸オーナーとは縁も血縁もいっさいなかった。同氏は37年務めた福岡相互銀行(当時、福岡シテイ銀行)を02年9月に定年退職した。そして10月に作州商事に入社したのだ。繰り返し指摘するが、樺島氏が行員時代から城戸氏からスカウトを受けていたのではないのだ。銀行から、ただ再就職先として紹介を受けたのに過ぎない。だから格別の城戸氏には特別な恩義はないのである。この02年9月は奇しくも福岡シテイ銀行が西日本銀行に吸収された時期であった。
同社に再就職した際には樺島氏も驚くことばかりを目撃していた。筆者に対して「我が社の社員の平均勤続年数は1.5年だ」と語った同氏の顔が忘れられない。今回の取材において「コダマさん!!幹部たちには勤続年数10年超えるメンバーが増えた。お陰で各部門のエキスパートが育ってきたので楽になった」とコメントしてくれた。樺島氏が06年2月に社長に就任して以降、「社員たちが務めやすい会社にしよう」という信念を具現化してきたからこそ、社員たちの定着が向上したのである。道理を一途に貫いてきたのだ。
樺島社長と個性豊かな城戸オーナーとの間には意見の衝突があったことは推測される。城戸氏の逆鱗に触れると幹部たちは降格の仕打ちを浴びたものだ。だが樺島氏の原理・原則の意見に対しては城戸オーナーも承服するしかなかった。本人が脱税で逮捕された際には樺島氏の社長抜擢しか人事選択はなかったのである。提灯持ちの幹部を社長に採用していたら最悪の辞退を招いていただろう。
『道理を貫く』樺島氏の存在があってこそ作州商事が救われたのである。
※記事へのご意見はこちら