2010年1月1日、旧前原市、旧志摩町、旧二丈町の1市2町が合併し、新たに「糸島市」が誕生した。福岡市に隣接していながらも豊かな自然に恵まれている糸島市は、近年、各メディアに頻繁に取り上げられることもあって、一躍全国的に注目を集めている。いわば"バブル"とでも言うべき活況に沸いている糸島市は、これからどのように変貌を遂げていくのか――。
(株)環境デザイン機構・代表取締役の佐藤俊郎氏と合同会社伊都システムズ・代表社員の児玉崇氏の糸島市在住の2人に、これから目指すべき糸島市の都市づくりについて語り合ってもらった。
児玉崇氏(以下、児玉) 空き店舗があっても危機感があまりないというのは、逆に言うと、まだ余裕があるということなんですね。そして、その余裕というのは、視点を変えると、まだ昔の地域のつながりみたいなものが残っている、というような見方も同時にできますね。
佐藤俊郎氏(以下、佐藤) そうですね。ですから現状という話のなかで言えば、糸島というところはとても豊かなんだと思いますよ。かつての産炭地の町とかと比べて、とくに衰退しているわけでもない。ある程度豊かで、それが水平飛行で維持できています。ですから、「今の状況でも別にいいんじゃない」というような感じですかね。
児玉 現状が豊かであれば、あえてリスクを取るようなことはせずともよい、と。
佐藤 そうですね。それが、私が糸島に4年間住んでいて感じたことですね。政治的な意味ではなく、そこに土地を持って生活している"地付き"の人たちという意味での保守的というか。「豊かだし、今のままで何が悪いの?」という人たちです。
一方、糸島には今、外から新しい人たちが入って来ていて、その人たちが、「糸島はこんなに面白い」「糸島はすばらしい」ということを発信しているわけです。ところが、昔からの人たちは「何が面白いの?昔からこうじゃん」と。そこの意識の差ってありますね。
児玉 でも、それは第三者の視点で離れて見ると、とても豊かなことですよね。
佐藤 豊かなことなんですよ。ですが、その「豊か」ということと、「これから可能性を探してもっと面白く」というのとは、また違うんですね。
児玉 現在の豊かさが、これからもずっと続くか、通用するかというのは、また別の話ですもんね。
佐藤 糸島は、本当に歴史的なところも含めて、日本の国の発祥の地みたいな話で、雷山のあたりなんかは、本当に神様が住んでいるような、神秘的で実に豊かな土地だと思います。その歴史的、神秘的豊かさというのが、いわゆる"保守"という名前に変わったときに、それがどういう本質なのかということが、まだ正直わかりません。とてもではないですが、根深いものがあると思います。
児玉 それこそ、積み上げられた営みの結果ですからね。保守という言い方はあまり良くありませんが、地域として残さなきゃいけないものがあるというくくりはありますよね。ただ、その半面、「ではどこから変えていいの?」みたいなこともあります。そこが糸島の魅力でもあり、難しい現状でもあるように思います。
<プロフィール>
佐藤 俊郎(さとう・としろう)
1953年生まれ。九州芸術工科大学、UCLA(カリフォルニア大学)修士課程修了。アメリカで12年の建築・都市計画の実務を経て、92年に帰国。(株)環境デザイン機構を設立し、現在に至る。そのほか、NPO FUKUOKAデザインリーグ副理事長、福岡デザイン専門学校理事なども務める。
<プロフィール>
児玉 崇(こだま・たかし)
1978年生まれ。福岡県糸島市高田(旧前原市)出身。国際基督教大学(ICU)教養学部卒業。証券会社勤務、調査会社勤務を経て、2010年に東京都中央区から糸島市へUターン定住。現在、合同会社伊都システムズの代表社員。
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