堀江貴文氏が【ゼロ】を出版した。売れ行きは好調のようである。ほんの一部を紹介する。【ゼロ】を申し込んだらいかがだろうか!!
講演会も企画中だ。
<カッコ悪さもすべて語ろう>
出所後の完全書き下ろし第一弾となる本書について、もうひとつ触れておきたいことがある。
「刑務所に入って、なにが変わりましたか?」
「お金に対する考え方は変わりましたか?」
出所して以来、メディアの取材で必ず聞かれる質問だ。
おそらく記者の方々は、「金の亡者が刑務所で改心し、真人間へと更生していったストーリー」を期待しているのであろう。わかりやすく、記事にしやすい物語である。でも。僕の信念はなにも変わっていない。仕事に対する姿勢も、お金に対する価値観も、収監される前とまったく同じだ。
ひとつだけ変わったところを挙げるなら、コミュニケーションに対する考え方だろう。
かつての僕は、世の中にはびこる不合理なものを嫌う、徹底した合理主義者だった。
そして物事をマクロ的に考え、「システム」を変えれば国が変わると思ってきた。起業も、株式分割も、さまざまな企業買収も、あるいは衆院選出馬も、すべてはこの国の「システム」を変えたかったからだ。
きっとそのせいだろう、僕はひたすら「ファクト(事実)」だけにこだわってきた。
言葉で説明するよりも、目に見える結果を残すこと。余計な御託は抜きにして、数値化可能な事実を指し示すこと。あいまいな感情の言葉より、端的な論理の言葉で語ること。それこそが、あるべきコミュニケーションの形だと信じ切っていた。
しかし、理詰めの言葉だけでは納得してもらえないし、あらぬ誤解を生んでしまう。そればかりか、ときには誰かを傷つけることだってある。僕の考えを理解してもらうためには、まず「堀江貴文という人間」を理解し、受け入れてもらわなければならない。言葉を尽くして丁寧に説明しなければならない。その認識が完全に抜け落ち、多くの誤解を招いてきた。これは最大の反省点である。
だから本書では、「これまで語られてこなかった堀江貴文」の姿についても、包み隠さず語っていこうと思う。僕がどこで生まれ、どんな家族の中で、どんな人生を送ってきたのか。なぜ東大をめざし、起業したのか。女の子にはモテたのか、モテなかったのか。カッコ悪い話も、長年抱えてきたコンプレックスも、すべてありのままに語っていきたい。
なぜなら僕には、どうしても伝えたい思いがあり、どうしても成し遂げたい夢があるからだ。
思えば学生時代の僕なんて、地味でひねくれた田舎者でしかなかった。中高時代も、大学時代も、完全に落ちこぼれていた。まったく勉強しなかったし、ギャンブルにハマった時期も長い。ライブドア時代に語られてきた「中高一貫の進学校に通い、現役で東大に合格し、若くして成功したベンチャー起業家」なんてサクセス・ストーリーは、表面的な結果論に過ぎない。
そこからどうにか変わることができたのは、小さな成功体験を積み重ね、自分の殻を打ち破ってきたからだ。何物でもない「堀江貴文」という人間を、少しずつ更新してきたからだ。もちろん、一夜にして変わったわけではない。はじめの一歩は、すべて地道な足し算である。
もし、あなたが「変わりたい」と願っているのなら、僕のアドバイスはひとつだ。
ゼロの自分に、イチを足そう。
掛け算をめざさず、足し算からはじめよう。
僕は働くことを通じて、自分に足し算していった。仕事という足し算を通じて、つまらない常識から自由になり、しがらみから自由になり、お金からも自由になっていった。掛け算ができるようになったのは、ずいぶんあとになってからのことだ。
僕には確信がある。
どんなにたくさん勉強したところで、どんなにたくさんの本を読んだところで、人は変わらない。自分を変え、周囲を動かし、自由を手に入れるための唯一の手段、それは「働くこと」なのだ。
ある意味僕は、10代や20代の若者たちと同じスタートラインに立っている。
ここから一緒にスタートを切り、一緒に新しい時代をつくっていくことができれば幸いである。大丈夫。あなたも僕も、未来は明るい。(堀江貴文著・ダイヤモンド社「ゼロ」から一部転用)
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