<井戸掘りからだるま愛育園>
カンボジア・シェムリアップを訪問して、最も感動したことの1つが『だるま愛育園』への訪問だ。このだるま愛育園には、レストランがある。その食事代のなかには、1人当たりの支援金が含まれている。涙ぐましいのは、そこで生活している子どもたちが訪問者たちへ歌ったり踊ったりして歓待をしてくれるのである。最後は、我々も子どもたちと一緒に踊って和んだ。この『だるま愛育園』が設立したのは1993年である。設立者は、日本人・内田弘慈氏である。
同氏は日本人修行僧であった。平成バブル絶頂のときの1990年当時だ。内田氏は『アンコール遺跡見聞録』の出版取材のため、カンボジアに初めてわたった。そこで目にしたのは、雨がたくさん降る一方で、国民は泥水しか飲めないという惨状である。愕然とした内田氏は、井戸掘りの活動を一気呵成に展開し始めた。井戸掘り支援活動が有名になると、さまざまな相談が来るようになる。「内田さん!!子どもを育ててくれないか」と持ち込まれたのが92年のことだ。速攻を身上にしている同氏は、翌年93年に『だるま愛育園』を設立したのだ。
内田氏のカンボジアへの無垢な献信性に感動したのが、現地のソリカさんだ。「外国人の内田さんがこんなに奮闘しているのに、カンボジア人の私は恥ずかしい。少しでもサポートしたい」と誓った。結果的には2人は夫婦になって、『だるま愛育園』を運営してきた。
ところが、だ!!長年の苦労・疲労の蓄積からか、内田氏が脳梗塞で倒れたのが3年前。現在、闘病生活をしているが、動ける状態ではない。現在は、ソリカさん1人で運営している。「お父さんの偉業を私が引き受けるしかない。応援してください」と語る彼女は、意気軒昂だ。
<1人3万6,000円で育つ>
カンボジアでは、今でも児童の生存率が世界でも低いと言われている。子どもの育成生活環境の悪さを知った内田氏は、施設建設の重要性を知った。そこで、日本国内にも支援の要請を行なった。資金が集まり、2005年に現在の建物が完成した。ソリカさんが感激して、「お父さんの活動が日本国内に広く認知されて、お金が集まって建てられた。『だるま愛育園』から社会に立派に巣立ってくれる子どもたちを育てていく」と話してくれた。
内田氏の持論は、「自立してだるま愛育園を廻していく」ことだ。まずは、食べられる環境を築くことだ。田んぼを買い求めてきたが、現在2haを購入した。子どもたちと一緒に田んぼ・稲刈りを行なっている。「せめて米だけは自立調達を」の願いが可能になった。5haまでは広げようと懸命になっている。レストランの横には、ショッピングコーナーもある。子どもたちの手づくりの商品も置いてある。
社会人で独り立ちするには、仕事に役に立つものが必要だ。そこで「カンボジア舞踊」とそれを支える「楽器の演奏」のスキルを磨きかけている。そうすれば、カンボジア舞踊の先生の道が拓かれるからだ。あとは外国語の習得だ。『だるま愛育園』では、英語と日本語を優先的に教えている。シェムリアップは観光客が多いから、主要な産業が観光業である。語学力は就職の面では有利である。
最後のソリカさんの言葉が印象に残った。「3万6,000円あれば、1人の子どもが1年間生きていけます」。
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