徳洲会事件が注目されている。今年2月に週刊新潮で衆院議員の徳田毅氏の準強姦事件が報道された。それをきっかけに、徳洲会による毅氏の丸抱え選挙が明らかになり、ついには政界へ徳洲会マネーが流出していることが発覚した。22日の朝日新聞は、猪瀬直樹東京都知事が徳洲会から5,000万円を受け取ったことを報じている(検察のガサ入れの後に返還)。
だが、そればかりではない。実は徳洲会の莫大な資金は、ある人物にも狙われていたのだ。
2008年6月26日、東京・表参道の他人の土地を無断で売却しようとして詐欺罪などに問われた女に対し、東京地裁は懲役3年・執行猶予5年の有罪判決を言い渡した。その女がNであり、現在は地方議員だった男性と結婚して名字が変わっているが、ここでは便宜上、旧姓のNとする。
Nは「SPA!」などサブカルのメディアで書いていたフリーの記者で、北朝鮮による邦人拉致問題が話題になると、永田町に出入りし始め、正論や新潮45に寄稿するようになった。
そしてNはさまざまな政治家と知り合う。故・中川昭一氏や内閣府副大臣を務めた米田建三氏。米田氏の紹介で、安倍晋三首相と米田氏の対談を企画したこともあった。とりわけ深い関係にあったのは、平沢勝栄氏や山崎拓氏だった。その濃密な関係は後に週刊誌の格好のネタになっている。
なかでも山崎氏については、Nはかねてから狙っていたようだ。「私の母方の祖父は大病院を経営しているが、中曽根康弘元首相と仲が良かった。その祖父が『山崎拓は将来有望な政治家だ』と言っていたので、ぜひとも会いたかった」と述べて籠絡。山崎事務所は「中曽根先生の名前を使われては、断れなかった」と悔やんだ。
ちなみに、「祖父は大病院を経営している」とは真っ赤な嘘。Nはその他、自分のことを「母は元モデルで、父は有名な画家。ヨーロッパの王族や富豪と付き合いがあり、トルコに住んでいる」と称していた。後に週刊文春が調べたところ、母方は高知県の山奥の村落の出身で、医療に従事する親戚は皆無。また父親はグラフィックデザイナーで、日暮里のアパートに住んでいたことが判明している。
山崎氏に対するNの入れ込みは大変なものだった。03年の衆院選では、東京に当時の夫と幼稚園児だった娘を残し、福岡の山崎選対に入り浸った。頼まれもしないのにいろいろと動き、「神崎武法と話を付け、創価票をもらうことに成功した」と豪語した。山崎氏が民主党の古賀潤一郎氏に敗れたとき、「山崎先生が負けるなんて!」と泣き崩れている。
古賀氏の経歴詐称が明るみになると、「アメリカまで飛んで調べた」とペパーダイン大学の書類らしきものを出してきた。そして古賀氏が辞職した後の補選で山崎氏が当選すると、「山崎政権をつくる!」と息巻いた。
そんなNとともに詐欺罪で逮捕されたのが、議員秘書だったIだ。2人が出会ったのは2000年頃の自由連合。当時のIは自由連合の幹事長だった石井一二参院議員の公設秘書を務めていたのである。
「自由連合は01年の参院選の候補を公募していた。そこに応募してきたのがNだった。当時のNは26歳だったので、被選挙権がなかった。どうやらNは参院選には30歳から出馬できるということを知らなかったらしい」(当時の自由連合の関係者)。
この頃から、Nには政治家願望があったわけだ。当時の自由連合は、すべての選挙区に候補を擁立していた。当然、当選はおぼつかないが、それでも代表の徳田虎雄氏はお金を惜しまなかった。当時は一度の選挙で数十億円が費やされると言われていた。そこにNは目を付けたのだろう。
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