その後、2001年の参院選で石井氏が落選したことで、Iは衆院議員だった米田建三氏の私設秘書になる。03年の衆院選で米田氏が落選すると、Iは「ワクマック」という会社を起こした。当初の共同経営者は別人だったが、そこにNが割り込んで追い出してしまう。まずは経理を握り、「社長のIはNからお金をもらっていたようだ」と関係者は話す。
この頃、すでにNは週刊誌で「話題の人」になっていた。平沢氏とともに大連で北朝鮮側と会った。国交正常化交渉担当大使である宋日昊にはブランドもののネクタイをプレゼントしている。
ヒルトンホテルの平沢氏の部屋から、日本の知人に自慢げに「私、今、平沢と一緒にいるのよ」と電話した。中国の公安がこれを盗聴して「怪しい女」としてマークし始め、そこからNの化けの皮がはがれ始めたと言われている。
そしてついに、週刊文春04年10月28日号で素性をばらされ、Nは永田町から姿を消した。
その後、NはIとの仕事を本格的に開始した。永田町の表舞台から姿を消したものの、山崎氏との関係は最大に利用し、福岡在住の自然食品会社を経営する30代の女性に「私は山崎拓をよく知っている。次の参院選に自民党公認で出馬させてあげる」と言い、Iとの会社に6,000万円出資させている。
こうして得た資金で、NとIは豪華な生活を送った。Nは元夫と離婚してミッドタウンの高級マンションに愛人のホストと住み、Iはそれまで住んでいた埼玉のマンションを出て、平河町の月額100万円のマンションに引っ越した。
不動産売買詐欺で東京地検特捜部に逮捕されたのは、07年9月のことだ。舞台は表参道沿いの土地で、表参道ヒルズの向かいにある土地だ。バブル前から何度も地上げが計画されたが、所有者が首を縦に振らずに失敗。投機家の間では「いわくの土地」と言われていた場所だった。そこを所有者に無断で代理人を偽装して110億円で売り飛ばし、11億円の内金を得ようとしたのだった。
そのうち5億5,000万円は取引先から振り込まれ、多くは使途が不明になっている。特捜部はそれを政界に流れた不正資金と見て、動いたのだった。
結局、政界への資金の流れがわからず、Nは一審で執行猶予を得て確定。Iは一審では懲役4年の実刑だったものの、控訴して執行猶予を得ている。
そして6年後、Nは再度その姿を見せた。河村たかし名古屋市長が率いる「減税日本」が東京本部事務所を開いたときだ。
昨年6月6日、国会や議員会館から近い平河町の砂防会館。かつては故・田中角栄元首相の事務所があり、最近まで中曽根康弘元首相が事務所を構えていたその古いビルで、「減税日本」東京本部事務所の開所式は行なわれた。大勢のマスコミ関係者であふれかえった会場で、1人の小太りの女性が忙しそうに動き回っていた。それが、ここ数年すっかりメディアから姿を消していたNだった。なんとNはちゃっかりと「減税日本」東京本部事務所の事務局次長におさまっていたのである。
だが、Nはまだ執行猶予中の身の上だった。あわてて「減税日本」事務局長だった藤川晋之助氏はNを解任した。
「執行猶予中であることは本人からなんとなく知らされていた。ものすごく親切にアドバイスしてもらったから、事務局次長にした。まさか大きな詐欺事件を起こしていたなんて、知らなかった」(藤川氏)。
だが、その東京本部は間もなく閉鎖。その原因はこうしたケチがついたせいではないか。
その後、Nの行方を知る人はいない。Nの現在の夫はブログで妻や幼い息子の日常を公表していたが、妻が事務局次長を解任された後、すべて消している。
幸か不幸か、自由連合はNから接触されたものの、彼女を候補にしなかったために災難から逃れることができた。しかし、それは単なる「幸運」だ。徳洲会事件の人的相関図を見ると、Nと似たり寄ったりの人間はいくらでもいる。ただNほど自己顕示欲が強くなく、派手な行為をしなかったために、マスコミが注目しなかっただけだ。
さらに広がりそうな徳洲会マネー疑惑。どこからどんなに大きな資金の話が出てきても、驚くに値しない。
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