鳥栖市は佐賀県のなかで途切れることなく人口増加を続けている唯一の都市だ。1954年に市制となって以来、毎年増加し、2012年12月には7万人を突破した。物流拠点「グリーン・ロジスティクス・パーク鳥栖」を始めとする雇用の場も多く、通勤者として市に流入する人々も多い。11年には九州初となるフランス発祥の音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ鳥栖」を開催し、サッカー日本代表戦が鳥栖スタジアムで初めて行なわれ今年は世界でもまれな九州国際重粒子線がん治療センターが設立された。橋本康志鳥栖市長と弊社の児玉直代表の対談をもとに鳥栖市成長の背景を検証する。
<常に情報を発信するという意味>
鳥栖市では職員に「情報発信」を常に念頭に置くよう指導している。橋本市長の考えでは、地域の元気度は、その地方独自の情報発信度にかかっている。発信の回数をいうのではない。自治体として新しいことにチャレンジをしていく姿勢を示すことが必要、つまり情報の質が問われるのだという。
2011年、鳥栖市に新幹線停車駅の新鳥栖駅ができた。鉄道の駅を誘致し都市力を高めることについては、すでに明治時代、地元の大地主、八坂甚八氏の鳥栖駅誘致によって実現した。ところが同じ鉄道といっても新幹線の駅は普通の駅とは勝手が違う。「新幹線の駅は普通の駅とは違い諸刃の剣です」と橋本市長。活かし方を考えないと地域の発展に繋がらない。福岡市と久留米市に挟まれている鳥栖市は、何もしなければ単なる通過点になってしまう。
そうならないために、鳥栖市を目的地とし、新鳥栖駅で下車してもらえるような施設などを持ってくる必要があった。だからこそ、世界でもまれな九州国際重粒子線がん治療センター(サガハイマット)を誘致した。
<常に九州全域の発展を考える>
重粒子線がん治療とは、放射線治療のひとつで、光の速さの約70%に加速した炭素イオンを、がん病巣に狙いを絞って照射する最先端治療法だ。そのセンターを九州に設立するにあたって当初は唐津市が想定されていた。しかし資金面などの関係で計画が進んでおらず、橋本市長としては気になっていた。やがて鳥栖市長になり、改めてこの重粒子線センターこそ、鳥栖市が持つべきものではないかと強く思うようになり、半年かかって実現にこぎつけたという。
なぜ鳥栖市こそ重粒子線センターにふさわしい土地なのか。たしかに鳥栖市は生薬発祥の地としての歴史を持つが、大規模医療施設を受け容れる動機としては弱すぎる。これについて橋本市長は次のように説明する。「理由は鳥栖市が交通の便が良い都市で、情報を他都市に発信していくのに適切な場所だからです。私が職員に大切にするようにと言っている『情報発信』とは、鳥栖市のPRという意味だけではありません。鳥栖市で得たものを他都市に流通させ、その都市を豊かにするものを発信する、ということも含みます」
サガハイマットでの治療は、同施設内だけで行なわれるのではない。始まりは九州・山口の12の大学病院、九州全域の28の国立病院をはじめとするネットワークに繋がる医療機関からだ。ここで必要な検査を行ない、がんと診断され重粒子線治療を希望する患者を主治医から紹介してもらうことから始まる。その後、治療準備が始まるが、治療完了まで含めて、必ずしも入院する必要がない。鳥栖市の交通の利便性を活用しながら通院し、がん治療を行なった後は高速道路や鉄道を使って九州を観光しながら帰って欲しい、いわば「メディカルツーリズム」が成立するのではないかと考えられている。
「何を創るにしても、皆で使いまわすものを鳥栖市で作って、九州全体で活用していただき全体で元気になっていく、というのが、私の描く未来図です。市の職員にいつも言っているのは『九州のために、鳥栖市に何ができるかを考えること』です」と、橋本市長は語る。
【黒岩 理恵子】
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