鳥栖市は佐賀県のなかで途切れることなく人口増加を続けている唯一の都市だ。1954年に市制となって以来、毎年増加し、2012年12月には7万人を突破した。物流拠点「グリーン・ロジスティクス・パーク鳥栖」を始めとする雇用の場も多く、通勤者として市に流入する人々も多い。11年には九州初となるフランス発祥の音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ鳥栖」を開催し、サッカー日本代表戦が鳥栖スタジアムで初めて行なわれ今年は世界でもまれな九州国際重粒子線がん治療センターが設立された。橋本康志鳥栖市長と弊社の児玉直代表の対談をもとに鳥栖市成長の背景を検証する。
<フランスの芸術家たちに愛される街、鳥栖>
鳥栖市で行なわれた事業で印象的なのは「ラ・フォル・ジュルネ音楽祭」だ。きっかけは、橋本市長が九州経済同友会の「九州はひとつ委員会」で道州制を学んだことに始まる。市町村が主役の地域づくり、地方分権型国家の実現を目指すにあたってモデル都市として、フランスで最も元気のある街との定評があるナント市をモデル都市と定め、委員会のメンバーと共に市の文化政策顧問、ジャン・ルイ・ボナン氏に会いに行った。ナント市こそ、ラ・フォル・ジュルネ発祥の地だ。
その後、新幹線の開通を控えた2010年2月、今度は私費でもう1度ボナン氏に会いに行ったところ、大変懇意にしてもらったそうだ。そこで「ナントの街づくりの仕組みを鳥栖でも参考にさせていただきたい、そのためにもラ・フォル・ジュルネ音楽祭を鳥栖で開催したい」と相談した。
しかし鳥栖市の知名度は低く、「知らない街で開催されてはラ・フォル・ジュルネの名がすたる」と難色を示された。だがここで諦める橋本鳥栖市長ではない。かなり無理を言ってその年の夏にボナン氏とラ・フォル・ジュルネ音楽祭の創設者ルネ・マルタン氏を鳥栖市に招いた。すると一目で街を気に入ってもらえたのだ。特に山が良いと言ってもらえた。そして緑に囲まれた鳥栖市民会館の雰囲気も気に入ってもらえたという。東京などの大都市にある施設はどれも人工的で冷たい感じがする。しかし鳥栖市の建物は素朴で暖かいと。市職員たちも様々なアイディアを出して、会館の雰囲気づくりに貢献した結果だろう。しかもこの後、市民会館は非常に音響が良いと評判になった。
<文化とは長年の蓄積があって花咲くもの>
ナント市は主要産業の造船業が衰退し、街の活気が低迷していくなか、文化による復興を目指した。当時39歳でナント市長になったジャン=マルク・エロー氏(現フランス首相)による発案で、政府でも敏腕なことで知られていたボナン氏を文化政策顧問に迎え、演劇、音楽、絵画などの芸術分野を積極的に事業に取り入れた。ナント市の仕組みで橋本市長が面白いと思ったのは、人が公共交通機関を使って動く流動性のある町にしたことだ。道路を造るとき、三車線にし、ひとつを完全に歩道にするなどして、路上演劇や音楽祭、彫刻の設置などが十分に行なえるようにした。芸術家たちに無料で住まいを提供するなどして優遇した都市づくりを行なった結果、移住者も増え、人口が10年で4万人増えた。この仕組みを、鳥栖市にも取り入れたいと思った。
そして橋本市長はこう語る。「芸術の国、フランスのすごいところは、ラ・フォル・ジュルネに関わったボナン氏もマルタン氏も、60年代にフランス文相を勤めた作家アンドレ・マルロー氏が設立した芸術コース出身ということです」。半世紀前に若者の心に撒かれた芸術の種が今、花開いていることに感動したというのだ。「仕掛けたものが、何十年後かに花開く、都市づくりとはそういうものなのだと実感しました」。
【黒岩 理恵子】
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