安倍首相は戦後体制の変革を実行するのであれば、国連の在り方についてもモノを言うべきだ。
<戦後体制の枠組みが生まれる>
「国際連合」とは日本語の訳語であるわけだが、英語では、『the United Nations』と表記されている。本来、正確に訳せば「連合国」というのが正しい日本語訳である。連合国というと、言うまでもなく第2次世界大戦時のアメリカ、イギリスを中心とした軍事同盟を指す。
第2次世界大戦は連合国対枢軸国の戦いであり、日本はドイツ、イタリアとともに日独伊三国同盟を結んだ枢軸国であった。第2次世界大戦初期には、連合国は自らを『the United Nations』とは呼ばず『Allied Nations』と言ったり、『Allied Powers』または『Allies』と称して、統一されていなかった。
昭和17(1942)年1月1日、この時期、連合国側は戦況不利の状態が続いており、仲間の戦線離脱を防ぐため、枢軸国とは単独講和しない軍事同盟を形成する必要に迫られる。そこで、アメリカ、イギリス、ソ連、フランス、中国などを含む26 カ国の代表がワシントンに集まり「日独との単独不講和」を宣言し、この時、初めて『the United Nations』という言葉が用いられた。
前年の昭和16年にはルーズベルトとチャーチルが会談をし、連合国の戦争に対する姿勢や戦後の国際秩序の理念などを盛り込んだ大西洋憲章を発表した。昭和18年10月には、モスクワでアメリカのハル国務長官、イギリスのイーデン外相、ソ連のモロトフ外相が集まり外相会談が開催され、この会談は、1カ月後に行なわれるテヘラン首脳会議(ルーズベルト、チャーチル、スターリンが出席、ソ連の対日参戦が決定)の準備と戦後の主要問題が協議された。そして、この3カ国に中国を加えて「国際平和と安全の維持のために、すべての平和愛好国の主権平等に基づく世界的国際機関の設立を必要と認める」という趣旨のモスクワ宣言を発表した。
翌昭和19年8月にはアメリカでダンバードン・オークス会議が開催され、同年10月9日、「ダンバードン・オークス案(一般的国際機関の設立に関する提案・国連憲章の原案)」が発せられた。これは『the United Nations』という組織を、戦後も維持し、米英中ソ4カ国が、そこに特定の規約をつくるという取り決めを行なった。
昭和20年2月4日からは米英ソの連合国のトップが集まりヤルタ会談が開催される。会談において「米英中ソ4カ国をもって、現在の安全保障理事会の常任理事国とし、その常任理事国は安全保障理事会の決定に対して拒否権を持つ」ことが決められる。そして日本に降伏を求めたポツダム宣言が発せられる1カ月前の昭和20年6月26日、アメリカのサンフランシスコで、50カ国の代表により定冠詞のついた『the United Nations』の成立をうたった国連憲章の調印式が行なわれた。
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<プロフィール>
濱口 和久 (はまぐち かずひさ)
昭和43年熊本県菊池市生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒業。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、民主党本部幹事長室副部長、栃木市首席政策監などを経て、国際地政学研究所研究員、日本政策研究センター研究員、日本文化チャンネル桜「防人の道 今日の自衛隊」キャスター、拓殖大学客員教授を務める。平成16年3月に竹島に本籍を移す。現在は、日本防災士機構認証研修機関の(株)防災士研修センター常務取締役。著書に、『思城居(おもしろい)』(東京コラボ)、『祖国を誇りに思う心』(ハーベスト出版)、「だれが日本の領土を守るのか?」(たちばな出版)。11月25日には、夕刊フジに連載中の企画をまとめた『探訪 日本の名城 上-戦国武将と出会う旅』(青林堂)を発売。公式HPはコチラ。
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