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コダマの核心

企業・人、再生シリーズ(24)~故・曻地三郎先生の健康長寿伝道魂は不滅
コダマの核心
2013年12月 5日 16:57

<1週間経っても記帳者が続々>
故・曻地三郎先生と筆者 11月27日、曻地三郎先生が心不全で逝去した。107歳であった。福岡県民の男性240万人のなかでは最高齢者として位置にあった。筆者が南区井尻にある先生宅へ記帳に行ったのが12月3日である。30分間、仏壇の横に滞在していたが、4組の方々がお別れの御例のために訪問されていた。
短時間の光景から故人の影響力がうかがえた。御主人が91歳という老夫婦は「16歳先輩の曻地先生の存在が自分にどれだけ励みになったことか」と、涙を流しつつ語る。人間死ねば終りだが、曻地先生の場合は死んでも健康長寿の伝道師魂は残ると確信した。

 107歳の人生の過程において幾多のドン底に転落し、辛酸を舐めた。2人の息子が脳性小児マヒになった。この悲惨な状況と対面しつつ障害児のための擁護施設「しいのみ学園」を開設した。60年前のことだ。長寿であるがゆえの不幸も生じる。子どもとも最愛の妻とも永遠の離別を経験した。妻と子、血の繋がった身内善人と死別になったのは98歳のことである。深い悲しみで、曻地先生が100歳手前で果てられたとしてもおかしくはなかったと筆者は思う。ところが奇跡が起きた。

<古賀氏・坪根氏との邂逅>
 なんと曻地先生は99歳から毎年、世界旅行を繰り返した。行く先々で『健康長寿の秘訣』を伝道してきた。長寿秘訣の毎朝5分間の『棒体操』を披露して歩いた。ギネスブックに記録された。背景を知らない人たちは「凄い凄い」と感服するだけであるが、洞察力のある人はすぐにわかる。「100歳過ぎた老人1人にこのような活動ができるわけがない。誰かサポートする存在者がいる」と。

 曻地先生、人生の最大のピンチであった98歳のこと。NHKプロデューサーであった古賀毅敏氏と坪根ちか子氏(喪主)と邂逅した。古賀氏が脚本を書き、坪根氏が曻地先生の活動をサポートする。この三者一体となった動きが先生の余生9年間に『健康長寿伝道師』としての偉業を達成させたのである。全国、全世界の人たちに元気を与えた。

 昇天する1日前の11月26日、曻地先生は正座して古賀氏に深々と頭を下げた。「楽しい人生を過ごさせていただき有難うさま」と感謝の意を表した。古賀氏は恐縮するとともに「これは最後の別れか」と覚悟したという。先生ほどの方になれば自分の死期は察知できるのであろう。

 107歳児であった曻地先生は、「我が人生は楽しかりけり」、「人生に悔いる事無し」と生きる喜びを噛み締めながら「百八歳になればパスポートが切れる、今度は地球を飛び出して宇宙に行くよ。パスポートがいらないからね!」と、溢れんばかりの笑顔を置き土産にして天空に駆けのぼった。

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