<第2、特定秘密をつくるのは外務官僚――その結果、官僚支配が確立する>
第2の問題は、そういう特定秘密は誰がつくるのか。
外務官僚というのは、外交官試験を受けるのはみんな大学の1番2番3番で、外務官僚はみんな優秀だと思っている。そのなかから適性評価を受けさせる。「こいつは絶対にばらさない」「こいつは絶対に外部にもらすようなことはしない」という資質があるか、キャリアも家庭状況も財産状況も全部調べる。基本的人権侵害でこれ自体が大問題だ。それでも秘密防衛のために適性評価といってやる。
そして外務省のなかのエリート集団中のエリート集団が適性評価に合格した人が集団をつくって、おそらく外務省のなかに特定秘密専門の部屋ができ、「特定秘密にしたらいい、出したら大変なことになる、俺たちの外交に支障をきたす」と判断したらみんな特定秘密にする。特定秘密をつくるのは、外務大臣がつくるのではなく、外務大臣はつくったものを追認するだけだ。官僚の完全な独善的な支配ができる。その恐ろしさを誰もわかっていない。
外務大臣はみんな1年か2年でやめていく。継続性というのは何もない。ドイツや米国の国務長官は、内閣や任期が5年、6年だったらその間変わらない。継続性があるし、執行力がついてくる。日本の外務大臣は、外務省の官僚から言えば、ちょっとやってきてすぐ消えていく、俺たちがつくったものを追認するだけの力しかない、傀儡だ。
官僚というのは、自分たちが生存生息する制度ができたら、自然発生的にその制度を拡充して強化する本能を持っている。
<官僚は、制度を拡充し強化する本能を持つ>
1960年の時、岸内閣の安保闘争の時に、私は首相官邸担当、政治部にいたが、その時からずっと見ている。外務省の役人というのは、岸内閣以前の鳩山一郎内閣、石橋湛山内閣の時は、なんの発言力もなかった。古い日米同盟、旧日米安保条約の状態でしたから、旧安保条約というのは、規定というのは非常に漠然として何が何からわからない条約だった。米国は日本が要請してくれるから日本に駐留するというような条約だった。何か事が起こったときは、日本が要請したら、米国はその解消のために協力して貢献すると書いてある。日本が要請したら米国は絶対に日本を守るという条約ではない。
官僚というのは、漠然とした、制度として成り立っていないような時には、官僚の威力というのは弱い。当時、鳩山内閣は米国の意見なんか聞かない。冷戦構造の真っただ中だって、敵地のソ連のモスクワに行って日ソ国交回復しちゃう。外務省の役人なんかなんの発言力もない。湛山は、その後、日中国交正常化をやろうとした。その時に、吉田茂という外務省の大先輩は何と言ったか。「貴様ら、何をやっているんだ。こんなにバカにされて」と、外務省の体たらくを怒った。それほど外務官僚なんて、大した力を持っていなかった。
ところが、1960年に新安保条約が結ばれ、日米同盟の基盤ができて、日本は米国に守ってもらうというのが制度としてがっちりとできてから、外務官僚はどんどん牙を強めていくわけです。そのうちに日米同盟体制絶対論、日米同盟聖域論をつくっていく。それから外務官僚が自分たちの存在意義を自分たち自身で確認していくわけだ。
今度の場合は、自分たちが特定秘密をつくる。彼らの判断によって、恣意によって、どんなものでも特定秘密にできる。それも、外務大臣が認定するんじゃなく、追認だ。その恐ろしさは、私は外務省を取材し、内部のいろんなことを知っているから、外務官僚がいざ力を持ち始めたらどんなことが威力を持ち始めるか知っているからわかる。
外部の人はわからない。「ああそうですか、ちゃんと第三者が、専門家が特定秘密をつくるんですか、認可するのは外務大臣であり防衛大臣だから、それならいいじゃないか」となる。そうじゃない。官僚がつくって、官僚が大臣に認めさせるんです。その結果、官僚支配が確立する。
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